06/08/04
国事行為13(憲法71)栄典3(叙勲者の内容)
次官や局長、公社総裁或いは経団連会長などその地位についた以上は、その職務に尽くすのはあたり前ですから、地位相応以上の抜群の功績のある人だけが、(歴代長官で10人に1人程度の傑物)上位の勲章受賞者であるべきではないでしょうか?
今はこれが逆になっていて、官関係者(即ち総理などの最高位者を含めて)が大勲位を占領しているのです。
実数はよく分りせんが、私のカンと実際を比較する為に栄典制度の在り方に関する論点の整理
平成13年5月22日
栄典制度の在り方に関する懇談会
のホームページから、以下のとおり転載してみました。
ま、私の直感が結構あたっている感じです。
【懇談会における主な議論】
○ 勲一等から勲三等までの上位勲等叙勲者を見ると政治家、高級官僚、判事、検事、国立大学の教授等がかなりの数を占めており、それが目立つので官中心ではないかという批判があるのではないか。もう少し民を増やすということも今回の見直しの一つのポイントではないか。
現在の役人(審査会と言う隠れ蓑利用ですが)による、現在の運用を紹介しますと、市会議員何期勤めれば○○章。市長で何章とか同じ役職では基本的に年期で貰う勲章の格式が決まっているのです。
経団連会長は・・・地方弁護士会長は・・・日弁連副会長は・・・日弁連会長は・・・・と言う具合に予め授与される叙勲の内容(等級)が決まっていて、団体に毎年推薦依頼が来るのです。
民間何%とは言っても、半ば、公的な団体が中心なのです。
役所の考える格付けでは、分り易い基準が必要なので、無難なところで、公的団体が中心になりやすいのです。
私に言わせれば、官公庁や団体の長は、トップ・長になった以上はその職責を果たすのは当然ですから、(それに現職時に相応の名誉ある待遇を受けて十分報われているのです。)何代に独りと言うような卓越した功績がない限り、叙勲対象にするのはおかしいのではないでしょうか?
むしろ何かの事情で団体の長にはなれなかったが、並みの長以上に功績のあった人などこそ、厚く遇するべきです。
恩赦は形式的に犯罪者になってしまう人を超高所からの正義感で救済するシステムとして存在意義があるように、ご褒美である栄典も形式的処理から洩れてしまうけれども、実はその政党などで偉業を成し遂げた人こそ、超高度からの別の角度から再評価する必要がある場合があります。
こうした時の喜びも大きいし、存在価値があるのではないでしょうか?
1昨年のノーベル賞受賞の田中さんみたいな場合こそ、存在意義が大きいのです。
(ノーベル賞貰ってからの叙勲や名誉教授では真昼の行灯みたいでは有りませんか)
既に、出世して良い思いをして来た人を更にほめてやる必要があるでしょうか?
栄典を恩赦と裏表の関係で見るとすれば、形式処理ではどうにもならない事態と言うのはそうザラにあるわけがないのですから、恩赦が滅多にないように、栄典も何年、何十年に一回必要な人を発見したときに名誉回復すればいいのです。
毎年9000人も授与すること自体に問題があるのです。
与える方は幾ら多くても良いだろうというのは、恩赦のコラムで書いてきたように問題があるし、有り難味も薄くなって、天皇の存在価値が薄まります。
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