06/11/03
3権分立(憲法12)1
日本でも昔から裁判する機関と、行政する機関は分かれていました。
鎌倉時代でも、門注所が置かれていたのは、歴史で習ったことですから知っていると思います。
江戸時代には、大岡越前の守や遠山金四郎で有名な町奉行所があります。
尤も、江戸時代の町奉行は、行政官でもあったようですから、少し違いますね。
明治憲法下でも当然立法機関の国会と、司法機関の裁判所、行政機関の内閣に分かれていました。
一見、3権分立の近代国家のようにに見えますが、そうではなかったのです。
日本国憲法と明治憲法ではどう違うのでしょうか?
組織が大きくなりますと、政治理念に関係なく計画立案機関と、実行する機関、非違をただしたり、苦情受付の機関はおのずと分化して来ます。
軍隊のように能率を重んじ、上命下服一体運用が重んじられる組織でも、能率が重んじられる分、早くから、分業が進んでいました。
古くは孫子「帷幕に中で策を廻らす」張良、(漢の沛公が天下を取れた原因の一つに数えた策士です)
3国志の初葛孔明、豊臣秀吉の竹中半兵衛等々軍師、軍略家が有名です。
勿論体力にまかせる突撃部隊は、その前から、存在していますがそこから、分化して来たのです。
また軍が大きくなって来ますと、論功行賞の為の目付け・軍監が発達して来ます。
兵糧等の運搬手配も重要な任務となり、漢楚の攻防では瀟何が重要な役割を果たした事も有名です。
このように分業としての裁判所があっても、飽くまで能率の為に分化しているのは、権力の分立とは言いません。
分立と言える為には、各機関が独立出来ていなければなりません。
裁判官が行政府の下位になったり、立法府や行政府の意向次第で、左遷されたり地位を追われるようでは、憲法違反だと宣言する勇気のある裁判官がいなくなるでしょう。
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