06/10/03 

政府のしたたかさに付いて、(抱き合わせの怖さ)(憲法7)

抱き合わせと言うと、株式配当の有償無償抱き合わせ増資(新株発行)を想像する人が多いと思いますが、ここでは憲法論の続きです。
伊藤博文は、自由な「民」を「臣民」と言い換えることによって、国民全部を、管理下におく思想的基盤を確立し、他方で、臣民の権利は、君主の恩恵によって、法律の範囲内で与えられるものだと言う原理を確立したかったのでしょう。
引用した憲法の条文をよく読んでみて下さい。
殆どが「法律の範囲内で」という制限つきになっているのは、その為です。
戦後の日本国憲法は、天賦人権説で出来ていますので「法律の認める範囲」という要件をなくしました。
そして当然ながら「臣民」を「国民」に変えたと言う訳です。
ただでは与えないと言う政府のしたたかさは、普通選挙を認める代わりに、治安維持法を制定したのと似ていますね。
国民が少しの権利を勝ち取ると、必ず政府、識者は、その濫用を言いつのります。
国民の方は、乱用するつもりはないので、「その為の取締は結構ですよ」と言う事になり勝ちです。
例えば「表現の自由を認める代わりに、検閲しないとエログロが雑誌ばかりになッて子供の教育によくない」と言われれば「そうだなあ」と思うのが良識ある人たちです。
そのうち検閲が学問の自由まで侵すようになってくるのですから、政府の「念のため」というやり方は、しびれ薬のように聞いて来ます。
「言論の自由はいいが国体・天皇制の否定まで言うのはどうか」と言われれば、当時の識者も、そりゃあそうだとなって、治安維持法が出来てしまったのです。
明治憲法も、「人権はいいが法律の範囲にしてくれよ、臣民の義務を忘れないで」と言われると、「それはもっとも」と言う事で、自由民権運動家は勝ち取ったつもりだったでしょう。
臣民でもなんでもなくて、自由に商売していた人まで臣民にさせられて、以前より窮屈になったと言う訳で、(与謝野晶子の君死にたまう事勿れ」は以前紹介しました)歴史上国民はやられっぱなしでした。
明治維新前は、商人は国家意思とは関係なく敵味方なく武器や商品の売買をしていたのです。
その為に情報も早く手に入り、便利な面もありました。(公務員のスパイよりも安上がりです)
アヘン戦争や香港割譲などは商人から早くに情報が日本に届いていたから対処出来た面があります。




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