06/09/03
臣民と国民との違い4(社員や家来と臣民の違い)
このように江戸時代の武士でも、自分の上司には頭が上がらなかったかも知れませんが、上司のいないところでは、結構自由があったものです。
ところが臣民と言う言葉は、どこの家臣でもない自由な民を、「一君万民」の標語の下に、四六時中、目の前にいない天皇の家臣にしてしまい、自由を奪おうとしたのです。
勤務時間外でも、臣民の心でいなければならないのです。
比喩的に言えば、勤務時間だけdなく24時間ですから臣民と言うのは、臣の「状態」を要求するものと言えるでしょう。
私などは神社に行った時だけ、手を合わせる不心得者?のですが、戦時中は、皇居が全く見えない満州の彼方でさえ、皇居を遥拝すると言うのが流行りました。
目の前になくても拝め(またはその気持ちでいろ)と言うのですから溜まりませんよ。
いつも心の中に臣民としての心構えが要求されると言う訳です。
その点を少壮気鋭の森有礼が突いたのです。
当時の教養人の間では、「臣」すなわち君臣の関係にある以上は、家臣には、主君に使える義務(分際)のみあって、一般人のような権利義務の関係がないと言うのが常識だったのでしょう。
「君、君たらずとも、臣、臣たらざる可からず、」などという無茶な道徳を強調される時代でも有りましたよ〜ん。
封建時代といっても契約関係ですから、君主は、家臣の奉公とひきかえの本領安堵が出来なければ、直ぐ見限られる仕組みでしたから、こんな無茶は言えませんでしたよ。
信長のような絶対権力者でも、家臣には細心の注意で手みやげなどをえらんでいたものです。
明治時代と言うのは、何もかも、形式が実態を伴わない観念論で、出来上がっていたと言えますね。
だからこそ、歌舞伎「菅原伝授手習鑑」にも、「すまじきものは宮仕えよのう!」という嘆きの台詞が有るのです。
自由を楽しんでいた「民草」が、いきなり「臣民」に昇格?させられて「分際」ばかり強要されるのでは、何の為の憲法発布か分かりません。
今年の1月14日からの「文化発信国家へ」のコラムで連載しましたが、日本中が臣民(いまで言えばサラリーマン)にさせられた結果、江戸時代のような自由な発想の文化が生まれ難くなったと思います。
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