06/09/03

臣民分際論 2(窮屈な社会の始まり)

私達が習った時代と違って、学者も戦後育ちが増えて来たからか、最近は特別権力関係というくくり方をする学者は、少なくなりつつあるようですが、その関係毎に合理的な制限か否か具体的に考える時代が来ていると思います。
例えば公務員や公営企業には、市場原理による歯止めがないので無制限なスト権は認められない、などの合理的理由の検証がされています。
話しが大分脱線しましたが、国民をまとめて臣民にしてしまえば、森有礼の言うように、原則として「分際しかなくな」ってしまう訳です。
伊藤博文は、「民」を「国民」と言わず、「臣民」と言い換える事によって、「民」には、お上に仕えるだけであって、権利等は元来ないという原則的思想を明らかにしながら、(この点は森有礼と同説)(条約改正を求める国是から、と欧米列強の理解を得る必要があるので、已むなく)「お上の恩恵で、法律で認めてやる時だけ、権利を認めてやるんだ」という立場が濃厚です。
今で言えば、社員は社長や上司には頭が上がりませんが、会社を離れれば、国民として一人前です。
他方社長も社内では君臨していますが、会社外では一市民です。
話しが変わりますが、私の知る限りでは、大名や、大身の旗本が、自分の家来でない他家の一定の身分の有りそうな武士に出会った時には、いまの社長がよそのサラリーマンに対等者としての礼儀で接するように、対等に接していたようです。
ところかまわず威張っていた訳ではないようです。
浪人でさえ、召し抱えられるまでは、結構大名と対等な会話をしてたようですよ。




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