06/09/03
臣民と国民との違い3(基本的人権は天賦不可譲のものか?)
ところで歴史解釈は難しいものですね。
前回のコラムの引用だけ見ると、森有礼は凄く反動的に見えます。
森有礼は、幕末、薩摩藩が13〜4人のイギリス留学生として選抜した俊秀で、維新後は、少壮気鋭の切れ者でした。
そして、初代文相として、日本の教育制度、教育理念の骨格形成に大きな影響を与えた人物として、歴史上有名な人です。
現在問題になっている教育基本法の改正問題でも、たまたま中教審会長が、国会で「森有礼がエデュュケーションという英語の翻訳語を教育と言う単語にした」と言う経緯が述べられています。
彼の人権論は、西洋留学者ですので、ロック、ルソーの流れをくむ、自然権、天賦不可譲の人権があるという立場でした。
彼は結社を作って、民選議院設立建白運動の応援をしたりしていたのです。
彼が言いたかった事は、(私の推測ですが)「臣民の権利」と言うケチな言い方はおかしい、それならば、「分際しかなくなってしまうじゃないか」と言うところにあったのではないでしょうか
伊藤は、元々、天賦不可譲の人権などは認められない立場です。
国民と言うと、何となく自由な感じがしますが、臣民と言えば、どこかに従属していて、上司に対して、何も言えない支配服従関係を意味します。
日本国憲法下の、現在の憲法学でも、特別権力関係と言う法学用語が有ります。
軍隊、警察、寄宿舎、宗教団体の内部では、特別な人権関係が有ると言うのです。
今でも公務員は、国民の公僕とは言いながら、(臣ではなくなったのに)政治活動の制限、労働基本権が保障されていません。
多分、憲法制定当時の法律家は、表向き公僕と説明しながらも、どこか、からだの芯では、「臣」的な階層を温存したいところがあったのではないでしょうか?
明治憲法が、国民全部を「臣」にしたのは行き過ぎだったが、公務員は「臣」である事は、本来の言葉の意味でも、間違いないのだから、「公務員には特別な権力関係が働いてもいいのだ」と言う潜在意識が強かったのではないでしょうか?
憲法制定当時及びその後2〜30年は、憲法学者も戦前の教育でどっぷり使って来た人間ばかりですから、かなりの自由主義的な人でも、今から考えると「ぬえ的」なものです。
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