06/09/03
臣民と国民との違い2(臣民分際論)
大日本帝国憲法制定にあたって、伊藤博文から、憲法の調査立案を委嘱された井上毅は、ロエスレル案と共に2案を伊藤に提出していて、そこから伊藤が取捨して憲法案を確定したと言われています。
井上、ロエスレル案には「国民」と言う言葉が使われていたのを、伊藤が「臣民」に変えてしまったようです。
「臣民」になると以下の議論が出て来ます。
枢密院で第2章の基本的人権の議論で、反対論者森有礼が主張した言い回しが有名です。
いわゆる「臣民分際論」というもので、そもそも、臣民には君主に対して忠節を尽くす「責任」のみあって、権利なぞ有る訳がない「分際」が有るだけだと言うのです。(例によってうろ覚えですので、正確な漢文調のかっこいい文章を再現出来ないのは残念です。)
ここまで論理が極まってくると、面白い論法だと感心してしまいますし、「臣民」と「国民」の微妙な違いが浮き彫りになって来ますね。
これに対して、伊藤博文は「憲法創設の精神は、『第1に君権を制限し、第2に臣民の権利を保護する』に有る」と主張して、欧米列強の趨勢を解きあかし、「この程度は最低取り入れなければ条約改正もおぼつかない」と言う、今で言う外圧を説明した結果、反対論者も「まあ、いいか」となったようです。
伊藤博文は、「国民」の単語を使うと国民や自由民権論者が勢いがつき過ぎるのも困るが、かと言って「臣民には分際しかない」とまで言われると、贔屓の引き倒しで、諸外国が納得しないと言うところです。
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