06/07/03
天皇機関説事件とは 3
美濃部本人が頑張る結果、公職辞職で何とか穏便にすまそうとした政府の思惑が崩れ、右翼や国会の野党による追及が激しくなってやむなく、検察当局は1度調べてうやむやにしたのですが、9月に入ってから美濃部を再び取り調べざるを得なくなり、18日に起訴猶予と決定しました。
ともかく決定してしまえば、一事不再理の法理で再度刑事追及出来なくなるからです
一事不再理の法理については別のコラムで説明しましょう。
機関説は出版法にいう「安寧秩序を妨害」する罪に、また詔勅批判の可能性を説く点は、同法でいう「皇室の尊厳を冒涜」する罪にあたる疑いがあるが、情状を酌量して起訴猶予にしたというものです。
翌日美濃部は、「犯罪者である以上は」と言う事でかな?貴族院議員を辞しました。
そして
「私の学説をひるがえすとか自己の著書の間違っていたことを認めたとか言う問題ではない...」
との見解を新聞紙上の声明で明らかにしたのですから、国粋主義者や軍部のいきり立つ事大変なものでした。
これによって治安維持法がサラに改悪されて、思想まで処罰の対象にする運動に繋がって行ったのです。
この治安維持法の改正方針は昭和9年2月に「治安維持法改正案」として第六五議会に提出され、両院で修正のうえ可決されたが、両院協議会で意見が一致せず、審議未了に終わ?。
他方、思想犯保護観察制は昭和11年に法律として制定され、それまでの政体変壊・国権紊乱・風俗壊乱に加え、新たに皇室の尊厳冒涜と安寧秩序の妨害とが行政処分や処罰の対象とされました。
名著、ユートピアの作家であり、イギリスの大法官トーマス・モアが飽くまで、国王ヘンリイ8世の違法を断じて聞かない為に、大法官の地位を追われ、更には反逆罪に問われて、獄中の人となっても説を屈せず、死刑になってしまったたのは有名な事件ですが、つい最近の日本ににもこういう硬骨漢がいたのです。
その息子の美濃部亮吉が、昭和42〜3年ころ東京都知事選挙に出た時は、こういう経緯を学んだばかりの、私達世代は興奮したものです。
このころは、高度成長の歪みで、大学紛争で大学があちこちで封鎖されるなど政治価値の衝突の時代でもあったのです。
東京中で警察機動隊と学生が衝突していました。
しかも、この対抗馬は、治安維持の最高責任者であった元警視総監の秦野さんでしたが、歴史の再来のようで興奮しましたね。
学問の自由弾圧の問題は措くとして、機関説と言うのは、私の意見と同じだなどと言うとおこがましいですが、私の言うところの「空なるもの」と似ているなあと思うのですがどうでしょうか?
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
