06/07/03
天皇機関説事件とは 2
こうしてみると、歴史に残る悪法である、治安維持法を制定したのも政友会等の野党が政権を取った時であり、通説であって、軍部独走の歯止めが期待されていた(その後、統帥権が議会、内閣を超越出来るという考えになり、軍部に口出しすると、「統帥権の干犯」とまで言われるようになったのは御存知のとおりです。)天皇機関説を攻撃して、軍部独走の道を開いたのも政友会と言うのでは、政党政治の草分けとして賞賛されて、学校で習ったのもなんかうさん臭いですね。
社会党が政権を取った時に、野党時代に反対運動していた長良川河口堰の工事着工を命じたのと同じですね。
滝川事件の時は、抗議した京大教授が団体で辞表提出の騒ぎになりましたが、機関説事件の時は既にそう言う状況でなく、美濃部1人が孤軍奮闘、国会で、自説を曲げなかったのです。
轟々たる非難の中、「節を曲げない」と言う美濃部達吉の書簡、遂には貴族院議院を辞職した時、それでも説を曲げず書簡を新聞発表した節操の堅さには脱帽です。
その一部を引用して見ましょう。
「小生公職辞退の儀につきなお熟考を重ねし結果、今日において小生自ら公職を辞することは、自ら自己の罪を認めて過誤を天下に陳謝するの意義を表白致すものに他ならぬことは申すまでもなく、自ら、学問的生命を放棄し、醜名を死後に残すものにて、小生の耐え難き苦痛と致すところにこれあり候。
顧みればこの数年来憲政破壊の風潮ますます盛んと相成り、甚だしきは自由主義思想の絶滅を叫ぶ声すら高く、...小生微力にしてもとよりこの風潮に対抗してこれを逆襲するだけの力あるものにこれなく候え共、憲法の研究を一生の仕事と致す一人として、空しくこの風潮に屈服し退いて一身の身の安きを貪りては、その本分に反するものと革新致しおり候」
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
