06/07/03
天皇機関説事件とは 1
前回のコラムで、象徴=空(くう)という表現をしましたが、戦前天皇の実質に関して、美濃部達吉博士(東京都知事をした美濃部亮吉の父です。)の天皇機関説が大事件になりました。
美濃部達吉は、行政法学者で東大教授を退官後東大名誉教授になり、勅撰の貴族院議員になっていました。
世界的に有名な人では、万有引力説のニュートンが貴族院議員になっていたのと同じですが、明治政府も、功績の有る学者の処遇として、イギリスの真似をしていたのかも知れませんね。
今だったら、ノーベル賞受賞者の田中さんが、あちこちの大学の名誉教授に就任したり学士院の会員になるくらいですが、貴族院が有れば貴族院議員に推薦されたのかも知れません。
ここで天皇機関説の簡単な説明をしておきましょう。
「天皇は万機を総覧ス」とある解釈として、天皇と言うのは国家機関として、内閣の補弼のもとに、法律の範囲内で国務の執行する機関であると言う当たり前の考えであって、この学説は、大正時代からの通説であって美濃部の独自説ではなかったのです。
御存じのように京都大学の滝川孝辰教授の、滝川事件(刑法学者で、刑法は、報復よりも、教育刑の方が効果があるという教育刑の思想が国家の刑罰権をないがしろにするという右翼の攻撃を受けた事件です。)に始まる大弾圧時代を迎えていた事が背景にあります。
こういう時代状況下で、美濃部は、国会議員として、治安維持法違反事件(人権蹂躙の悪法として有名ですね)の、被疑者か被告人か分かりませんが、関係者の人権侵害事実を国会で強硬に追及したのです。
そこで頭に来た右翼が、美濃部のあら探しを始めた結果、天皇機関説を槍玉に挙げて、(当時の通説ですから、ま、言うならば言い掛かりです)「天皇が機関に過ぎないとは何事か」と騒ぎ出したのです。
政府は、学問の内容に干渉しないという態度で繰り返し、撃退していたのですが、野党の政友会が節操よりも政府攻撃さえできればいいという態度で、これを政争の具に使うようになって、次第に国会の大問題になって来た為、政府も折れるようになった行ったのが事件の顛末です。
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