06/04/03
婚姻制度 (明治時代の婚姻制度3)13(民法典論争2)
ボワソナード民法の施行に反対する運動(法典論争とも言います)のスローガンは、面白いので御紹介しておきましょう。
曰く「民法出(い)でて、忠孝滅ぶ」
大時代がかっていますね。
ところが大反対運動の結果、折角ボツにしたのに、改正されて出来上がった現行民法も、ボワソナード民法と殆ど変わらず、結果的に何にもならなかったとも言われています。
もっとも、反対運動と言っても、大陸法系の学者に反対するイギリス法系の学者による、単なる巻き返し運動の名目に担がれただけで、国民的広がりがなかったと言う醒めた見方も在ります。
但し明治政府は先進的だったから民法を制定したのではなく、国民の自主的な行動を(おかみの関係のない儀式を)真っ向から否定して、何でも「お上が管理する役所へ届出をしない限り正式な夫婦と認めない」と言う中央集権的または、絶対主義的思想に基づくものだったにすぎないと私は考えています。
同じ思想の現れは、不動産の登記制度ですが、これは次のコラムで少し紹介しておきましょう。
今も昔も、法律ができてしまうと、後は法律を無視して届け出しない抵抗運動しかないのですが、これがまた国民生活を、ややこしくしてしまいました。
国民の長年の習俗を否定した法律は、中々定着しなかったことと相俟って、国民は結婚式をしても届出をしない習慣が根強く残りました。(内縁の発生)
これが法律関係をややこしくし、裁判所も無視出来ないことから準婚として正式な結婚に準じて保護を与える判例が生成するようになったのです。
このように反動保守勢力と揉めている間に、国民生活の方が、進んで来て、親族の同意どころか親の同意すら、男にとっては形式化して来ました。
男の働く手段が、先祖伝来の農地等の資産に関係なくなって、国民の大多数が都市労働者になったことが大きく作用したと思います。
親族、家族が生活の場ではなくなった以上、(今では、冠婚葬祭の付き合いが中心となっている親族が多いでしょう。)親族にとって甥姪が誰と結婚しようが、利害がなくなったのですから、関心がなくなるのはあたり前です。
そして戦後になると、法律上は成人すれば親の同意すらいらないばかりか、未成年者でも、両親でなくてもどちらか一方の同意でも良い程軽いものになっています。
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