06/04/03
民法制定当時の事情(民法典論争1)
この序でに民法制定当時の経緯を簡単に述べておきましょう。
実は、我が国では明治13年以来編纂作業に入って、明治23年4月にボワソナードによる財産部分と、同年10月に日本人委員の起草になる親族部分がそれぞれ元老院で審議されて、公布されて、ともに、明治26年1月1日から施行される事になりました。
所謂ボワソナード民法と言われるものです。
この時猛烈な反対運動が起こって、一回も施行されないでお蔵入りとなってしまったのです。
明治23年11月に開会した第一回帝国議会で、先ず24年から施行予定のロエスレル商法延期論が採用されて、これに勢いを得た反対論者は更に激しく反対運動を展開した結果、民法、商法、まとめて「その修正を行う為、明治29年12月31日まで延期」する法案が第3回帝国議会で可決されて民法商法延期法案が成立しました。
そこで、明治26年に法典調査会が設置されて新たな民法草案を作って出し直した結果、現行民法が明治31年6月に新たに成立したのです。
商法は時代に要請もあって、この間に一部づつ施行されていたようですが、今の時代にもしも、同じ事があったら内閣が潰れてしまいますが、こんな大きな法典がそっくり作り直しになるとは、前代未聞の大事件でした。
こうしてみると、明治の国会は強かったのか弱かったのか、あるいは政府は強かったのか簡単に国会でひっくり返される程弱かったのか、良く分かりませんね。
その頃の政府は、国会で重要法案がとおらなくても、内閣が責任を取るシステムまで行ってなかったのかも知れません。
これは実は、明治政府は、成立直後から、戸籍制度の編纂に勢力を傾けていたのですが、(後に詳述します。)逐次改正によって、戸の制度、戸主などの明治政府の考える家の制度の輪郭が、次第に固まって来た事と関係があります。
民法はその集大成的意味もあったのですが、むしろ駆け込み的に作った(政府は、帝国議会開催要求を受けて、開会の約束をした期限前に重要な法律の整備をしてしまおうと必死に接作業を進めていたのです。)民商法が、政府の思想と少しずれたところに問題があって、却って議会開催後に大法典の差し換えとなったようです。
ま、そう言う訳で、法律家の世界では、ボワソナード民法を旧民法、現行の明治31年成立の民法(旧家族制度)を現行民法と言い習わしていますので御注意下さい。
戦前の家族制度が旧民法とは言わない事は、前々回のコラムでも説明したとおりです。
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