具体的危険と不利益2(憲法242)
以上の説明で具体的危険犯と抽象的危険犯、さらにもっと前段階の反則行為の区別が大方分かって頂けたでしょう。
そこで、具体的・あるいは抽象的危険の有無にまったく関係なく、一定の病人なら、一定の不利益を甘受すべきだという法律が許されるかどうかが、先ず問題です。
(たとえば、らい病者と言うことだけで、伝染する確率も低い上に何か危険な行為をするという確率が高まることは全くありません。)
不利益処分と言っても、程度問題と言う議論もあるでしょうが(これが反則制度の基礎です)、程度問題を通り越して、「本人の意思に反して殺してもいい」とか「生殖能力を奪ってよい」「死ぬまで隔離してよい」などと法律で決めることが許されるかはさらに問題です。
安楽死の問題は、04/29/08「安楽死1と刑法97」前後で違った角度から少し書きましたが、本人の事前の意思が重要でしょう。
まして遺伝であれば、遺伝の定義をどのようにしようとも、結局は、その人の生き方によって殆ど結果が変らないことを意味するのでしょうから、その人には現状の遺伝的疾患には、何の責任もないのですから、遺伝を理由にした不利益扱いはなおさら許されないはずです。
現行憲法はアメリカの圧倒的影響下で作成されたので、その運用や解釈もアメリカの価値観で行われてきたのが、らい病者等の悲劇でした。
アメリカの価値観では、優生手術そのものに対して積極的でしたから、私の言うような方向からのチェックが働かず、戦後の改革(進歩的学者の意見)は適正手続きの保障があるかどうかだけでした。
テーマの正当性自体が議論の対象にならないまま、ずっと来たので、医学の進歩による遺伝性・伝染性が低いことが明らかになるまで・・平成8年優生保護法が、母体保護法に改題されて、優生手術が一掃されるまで、戦後約50年間の長きにわたってこうした非人道的なことが行われていたのです。
(学者その他人権活動家も含めて、進歩的文化人といってもセイゼイ、アメリカの人権思想の範囲内で考え、行動していた結果・証拠といえるでしょう。)
らい病に限らず、伝染性疾患についても同様で、危険の程度を超えた隔離の害や非合理な差別の元になる法定伝染病法が廃止されて、隔離期間について厳しい歯止めを設けた感染症法になったのは、ようやく平成11年4月のことでした。
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