05/24/08

遺伝と虐待1(憲法241)

話を国際思想状況に戻しますと、欧州発の地球温暖化対策という大思想に比べれば、日本主導の大規模な価値観の提案などは、まだ全然出来ていませんし、これからもするべき立場でもないのでしょう。

これからはグローバル化が進む一方ですから、2番手3番手の国が新たな価値観を提示するのは無理がある・・おこがましい・・でしょうから、(直ぐ潰されてしまいます)これはやむを得ないところかも知れません。

とすると、「これからは、これこれの時代だ」とその時々の覇権国家が言えば、真っ先に進んでマスターし、2番手の地位にのし上がっていつもいい思いをする・・真似の上手な(よく言えば、全天候型の応用力を備えた)国に徹していくしかないのでしょうか?

これも悲しい話ですが、超大手以外は企業でも国でも世界規格・世界標準を作るのは無理がある、後塵を拝するより他ないのが現実です。

大げさな世界思想標準ではなく、各種製品等の世界標準を作れるように、しこしことやっていくしかないのかもしれません。

話がそれていくので、遺伝性疾患の人々に対する拘束監禁、断種(生殖不能化)手術問題に戻します。

アメリカの影響下にあるわが国の思想界とその下位にある法学者も弁護士にも、平等原則違反を論じる気がないという点は措くとしても、死ぬまで拘束するような制度は、「行き過ぎとして」幸福追求の権利に違反しないのでしょうか?

憲法

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

この幸福追求権は、便利な規定ですから、憲法訴訟では、いつもこれがついでに?主張されます。

教育を受ける権利を05/01/08「教育を受ける権利5(特殊教育1)」前後で連載して来ましたが、(現在その途中で横道に入っているだけですから、そのうち教育を受ける権利に戻します)それと同様に病人の場合も遺伝ではなく、自己責任で病気になった場合でも、病人は治療を受ける権利があるだけで、処罰に類する害悪まで受ける義務はないでしょう。

これまでも少しづつ書いて来ましたし、この後でも書くと思いますが、そもそも何が遺伝で何が遺伝ではないかと言うのは、私の理解では相対的な程度問題だろうと思っています。

一定の疾患が遺伝によるものであろうと、暴飲暴食その他当事者の不摂生(過度の飲酒・喫煙)によるものであろうと、治療を受ける立場に変わりがないはずです。

むしろ遺伝による症状のほうが、その人の責任ではないのですから、手厚く介助してもらう権利があると言うべきでしょう。

 



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