05/18/08
優生保護法6(同意とは?)
前回まで紹介したように、戦後の優生保護法3条では、旧法の本人申請主義をやめて、同意を得て医師が行うことができると言う一歩進んだ?制度に変えました。
法制度としては、第三者が本人の同意を得て行うことができるのと本人の積極的な申請がなければだめなのとでは、本人保護の厚みが違います。
同意というのは、逆らえない状態で承諾を迫られて、仕方なしに承諾するというニュアンスが濃厚です。
戦前のように、本人の自発的申し出を待って、医師が申請し、どこかで許可する方が妥当ですが、戦後は何故、本人は脇役的に同意するだけになったのでしょうか?
そもそも、自分から、「優生手術をしてくれ」などと申し込んでくることはありえないのだから、医師の主導で説得して、「同意書に押印させる」方が実態に合っているという割り切りから、こうした改正になったのでしょうか?
この法律が、戦後かなり早い時期になぜ改正になったのか、疑問なしとしませんが、(23年とは早すぎるのですが、)16日から17日にかけて書いたように、アメリカがこの種の手術に対して奨励傾向にあったことが大きいのでしょう。
戦後民主化による人権意識の高まりで180度変えたのではなく、むしろ逆に強化したものだとすればすっきり理解できます。
そのうえ、、内務官僚的発想では、戦後混乱で、もっと強権的に・・問答無用で効率的にやる必要に迫られて、旧法ではまどろっこしいと思っていたでしょうから、これについてはGHQの応援もあって、急いで改正したような印象です。
これまで書いているように、厚生官僚は、昭和20年の敗戦時には、まだ分離後僅かに5年ですから、ほとんど全員が内務官僚出身者ばかりだったのですから、意識が変っていなかったのです。
昭和15年に内務省から分離したばかりでしたから、官僚の殆ど全部が内務官僚的思想が身に沁みこんだ人ばかりだったでしょう。
これに加えて、アメリカがこの分野ではむしろ推進派でしたから、何ら疑問を感じることなく、却って簡略化・強化したのでしょう。
ただ、日本ではあまり関心がなく、アメリカにとって関心の大きい中絶関係がここに割り込んでイキナリ第一条になっているのも理解できます。
3条を見ると戦前と条文は同じですが、根本的に変ったことは、医師が主役になり、その対象から精神病者が除かれていることです。(第3条但し書き)
一見この条文だけ見ると、戦後は精神病者に対する断種手術を出来なくなったようですが、実際にはこの条文は隠れ蓑でしかなかったのです。
精神病者の場合には、第4条で別表記載の病気の場合、審査会審査が必要になっていますが、その分、本人や家族の決定権は無くなっています。
重要な人権事項にも拘わらず、本人の意思を全く問題にせず、審査会や裁判所が最終決定権がある仕組みでした。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
