05/16/08
国民優生法から優生保護法2へ
日米開戦直前の忙しいときに、この法律をわざわざ作った意味は、個人の手術を受ける自由を明らかにするためではなく、精神病者や、らい病など遺伝的疾患を有する人の子孫を権力で抹殺したいと言う意欲で作ったと見るべきでしょう。
ですから、衣の下の鎧のような法律であって、個人の申し込み自由を第3条で表面に持ってきたものの、実際の運用は、医師次第となる第5条によることになるのでしょう。
この精神は戦後の法律である優生保護法にもあって、一条、2条で、いきなり母体保護となるのですが、その後は戦前の優生法の条文そのままで、、実際は戦前の優生法の断種術の運用をむしろ強化・・法律に格上げしているのです。(これはあとで紹介します。)
戦後の法律・・・優生保護法も本当に母体保護のために、、国民の自由な意思で中絶を認めるようになるには、何と平成8年の改正・法令名を母体保護法に変えるまで待たねばならなかったのです。
優生法第5条を見ると本人申請の原則を曲げて、(いかにも嘘っぽいからでしょう)本人の同意を得て、病院長や保健所長や精神科の医師などが申請できることになっています。
精神病のために申請書にサインすら出来ない人のためでしょうが、これでは同意など形式だけで良いという本音の表明でしょう。
同意と言うのは、実質的には、後述のとおり半強制的になりがちですから、半強制的に実施することを目的にした法律でしょう。
このように、同意を要件にしているとは言え、殆ど強制的な断種術ですから、人権方面からのためらい、チェックもないすごい法律ができたものです。
日本の優生法は、劣悪な?国民の生殖を禁じ次の世代を残さないようにしようとする制度です。
こうした思潮は、特にナチスだけが始めたことではなく、むしろ英米その他先進国の方が激しかったらしいのですが、戦争で負けたドイツがこうした責任を一身に負っているだけです。
日本は、当時の世界中の風潮のまねをしただけです。
この国民優生法は戦後優生保護法に引き継がれているのですが、人権尊重の戦後には強制的性格は払拭されていると言えるのでしょうか?
以下見て行きますが、概略を先に書きますと、以下のように第1条だけとってつけたような母体保護の条文に変りましたが、それ以外は、むしろ戦前の断種手術をやりやすく簡易化して強化した法律と言えます。
戦前の優生法は、建前上は3条で本人申請が原則で、例外的に精神病者にかぎっては病院長や医師が本人等の同意を得て申請する仕組みでしたが、戦後は、先ずどこにも申請の必要が無くなり、「医師」が出来ると言う基本に変りました。
本人や家族の主導権が、形式上でも失なわれたのです。
第1条に母体保護がはいったことで大きく法律の性格が変った筈ですが、その後の条文の体裁・・・内容は戦前の優生法とほぼ同じです。
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