05/14/08
公の役割と民間の役割
ところで、わが国はどうして、何事でもお役所が決めてくれるのを最善とする意識が定着してしまったのでしょうか?
長い間、(と言っても、江戸260年間のことだけかも知れません)お上は国民の保護者として機能していて、過酷なことをして来なかった・・王道政治をしてきたので、政府に対する信頼が厚いことがあるでしょう。
その上に、、明治以降西洋のほうが格段にいろんな分野で進んでいたので、その知識の仕入れが、留学資金がなくて政府派遣に偏っていたので、西洋の先進知識を学んだ政府関係者にお任せするのが正しいという風潮を生んでしまったのでしょう。
その信頼に乗じて、征韓論以降の明治政府・・大久保利通以下内務官僚は、国民監視政府に変質させてきたのです。
この反動で国民の多くは、政府の管理政策にある程度嫌気がさしているのですが、政府・官僚の方はその伝統的識が抜け切らず、今でも後見的・管理志向が強い上に、国民の多くも自助努力よりは政府に期待する意識が抜けきらないのです。
人権関係だけならば、「任せる代わりに無茶するな」で政府が江戸時代までのように謙抑的になれば、バランスが取れるのです。
しかし、これからも、民主主義精神でありさえすれば、大きな政府・・研究開発も芸術も遊び方まで、すべて政府が面倒見る社会でも良いのでしょうか?
人権も重視し、社会経済の発達も図るためには、これからは「温厚な役人が、国民のために考えてくれるのに任せる」のではなく、市場競争の結果、自然発生的に必要なものが生み出されていく社会・・・創造力豊かな社会にする必要があるのです。
これまでの日本の野党系の主張は、後から見ると政府・・どこかの省庁の予算獲得運動に利するような時に成功していることが結構多いのです。
何か新らしいことをするのに、今の規制は邪魔だから改正すべきだという主張を野党がする社会になってほしいものです。
話を精神病院に戻しますと、政府資金による病院設置運動は、一応成功するのですが、もしかしたら、内務省の権限拡大の応援団の役割として黙認されていただけかもしれません。
現在でも野党系あるいは弁護士などの主張は、民間で何かしようとするのを「邪魔するな」と言うのではなく、「「監視しろ・規制しろ」と政府に要求するばかりですから、殆どの場合こうして役所の権限拡大に結びついて終わり・・満足する傾向があるのです。
ただし、神戸の大地震以降目立ってきたことですが、政府に任せず、ボランティア活動が盛んになり、何か惨事があると直ぐにボランテイアの人々が集まり、しかも、整然と行われるソフト面が発達して来たのには心強いものがあります。
わが国も政府に任せず、草の根の活動が中心になってくれば、政府に頼る国民意識が少しづつ変って行き、おのずから小さな政府に変身していけるのでしょう。
政府に頼る意識が弱くなれば、いろんな分野で自由な発想が重んじられ、新たな技術や文化が生まれやすくなって、人口減少社会でも世界で一定の地位を占めていけるでしょう。
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