05/09/08
医療水準と医療関連の歴史4
こうして明治初年以来、精神病者を出した家・一族の監護義務義務の強調・強化一点張りとなって、敗戦後の昭和25年の精神衛生法制定まで続くのです。
戦後の精神衛生法では、監護義務から保護義務に変り、現在に至っていますが、医療観察法以降は保護「義務」はなくなったのではないかというのが、私の意見です。
いろんなことについて、明治以降国家には受け皿を作る能力がなかったけれども、治安・公衆衛生その他の思想が入ってきたので、家庭にいろんな方面の責任を負わせるしかなかったのでしょう。
そのための体制作りが、家の制度の強化だったともいえます。
今では病気も個々の家庭で見るのではなく、保険医療の時代ですし、親の介護さえ社会化の時代です。
子供の養育についても、父母の背後に控える一家なんてものはなくなり、他方で母親一人では物心両面で背負いきれないことから、公的支援サービスが充実している時代です。
親兄弟が食って行けなくなっても、知らん振り・・・・それまで一緒に住んでいても親と世帯分離して生活保護申請の時代です。
生活保護まで行かなくとも、世帯分離すると老人ホーム入居負担が低くなるなどのメリットがあるそうです。
本当に生活費のない老人と、こうした知恵者の区別が付かないので、福祉政策は難しい時代です。
「日本における精神医療関連法規の歴史」(引用)のつづきです。
明治16年(1883)
相馬事件はじまる。この事件は、相馬氏の旧臣、錦織剛清が、精神病のゆえに私宅に監禁されていた相馬誠胤の拠遇を不当として東京軽罪裁判所に告発したことに端を発した事件であった。これをきっかけに、法定手続きが不明確な私宅監置の問題が顕在化した。同時に、東京帝国大学教授、スクリバ、同じく榊 俶による診断書が司法判断上重要な役割を演じ、わが国の司法鑑定の嚆矢となる事件でもあった。
明治17年(1884)
警視庁令で、許可のない者を私立精神病院に入院させることを禁じた。
旧刑法では「徘徊せしめたるもの」と言うだけで、誰が監護義務者かについては常識に従う状態で法定されていなかったのです。
これまで、何回も紹介していますが、明治31年に民法の親族相続編が成立し、その時まで戸主や後見人配偶者など家制度が決まっていなかったたことも大きいでしょう。
民法
明治29・4・27・法律 89号(第1編 第2編 第3編)明治31・6・21・法律 9号(第4編 第5編)
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