05/09/08
医療水準と医療関連の歴史3
明治13年に出来た旧刑法では、狂人を監護せずに徘徊させただけで、軽犯罪として処罰されるようになっています。
(野放しが処罰の対象になったのです)
明治13年の旧刑法を紹介しておきましょう。(中野文庫より)
旧刑法
明治十三年太政官布告第三十六号(旧刑法)
(明治十三年七月十七日太政官布告第三十六号)第四百二十六条 左ノ諸件ヲ犯シタル者ハ二日以上五日以下ノ拘留ニ処シ又ハ五十銭以上一円五十銭以下ノ科料ニ処ス
1〜6号省略七 発狂人ノ看守ヲ怠リ路上ニ徘徊セシメタル者
「日本における精神医療関連法規の歴史」
年表
明治13年(1880)
旧刑法に、発狂人の看守を怠り、路上に徘徊せしめたるものは違警罪として処罰する旨が規定され、精神障害者に関わる治安活動に対して、家族がその責任の一端を負うべき法的根拠が明確になりはじめた。
それまでの放任主義・・・・それまでは政府からして、犯罪者を捕まえてもゴミを掃き出すように他所へ追放するだけでしたし、その延長上で家族の手に負えなくなれば不良息子を放逐するのが常識だったのです。
オバ捨て山だけの話ではありません。
何時までも面倒を見切れない大多数の家庭では、病気・不良その他家族の手に負えなくなると家から放り出して、知らんプリ・・・・今で言えば粗大ごみをその辺の雑木林に捨ててしまうような感じでいたのでしょう。
(現在犬・・・・もしかして、狂犬を放し飼いにしているような扱いです。)
それが明治以降、何もかも国家で丸抱えの思想・・大きな政府に転換してきます。
「何もかも面倒見るのだから、命も差し出せ(徴兵制)」と言うおっかない政府でした。
そんな偉そうなことを言いながら、実は国力不足ですから、家族の面倒は失業者・病人その他何でも不都合なことは、すべて家制度で家長が引き受ける仕組みにして、普通の病気どころか当時不治の病と思われていた精神病も何もかもと言うことになったのです。
こうした思想教育の結果、明治初年から僅か10年あまりの間に、精神病者は家族・・一族で管理すべきだという思想が広がっていたのでしょう。
こうして、家族の責任・・・・なにか事件を起こすと親兄弟がマスコミに曝され、批判の矢面に立つ習慣が形成され始めた起源かもしれません。
何か不祥事があると常に「一家の責任」「一家の恥」と言う意識が、このころから教育されて、国民意識に浸透していくのです。
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