05/08/08
医療水準3と医療関連の歴史1
以下は、「日本における精神医療関連法規の歴史」web.sc.itc.keio.ac.jp/~kokikawa/sehistory.html − 33からの引用と簡単なコメントです。
勿論コメントは私の独断です。
客観性と・・正確性については、年表を作った人に聞いていただくしかないですが、一応信用して引用していきます。
以下、年表に基づき簡単にコメントして行きますと、先ず明治5年の記載は、ロシア皇太子の来日に際し、恥ずかしいから路上から、精神病者を排除すると言うのであって、現在の中国がオリンピックに向けて汚いのが恥ずかしいと言う発想で行動しているのと同列です。
オリンピック目的でも体面だけでも、「何とかしなくっちゃ・・」となったのがきっかけで、社会が良くなればいいことです。
この年表は精神病者を監護しきれずに、家から放逐して浮浪者になって街中をさまよっていた実情がうかがい知れる記録です。
10年以上前に、森繁久弥主演の「赤ひげ」という舞台を宝塚劇場だったかで見たことがありますが、赤ひげ先生の修行時代の先生の娘が狂人になって、生きていくためにコモを背負って売春婦になって町中をさまよってるところに、赤ひげ先生が遭遇してこれを引き取る筋書きでした。
以上は単なる物語・・御芝居ですが、明治5年当時はこうした人があちこちにさまよっていたのでしょう。
現在でも、浮浪者・・ホームレスの多くは、精神疾患その他の病気持ちだと言われますが、明治の初めころはもっとひどかったのではないでしょうか。
明治6年には、番人規則によって治安目的の収容してもよい根拠が設けられました。
番人制度とは、今で言うところの自治体警察で、英国の制度に倣った当時の司法卿江藤新平によって創設されたものですが、征韓論に関する江藤の下野によって、あとを継いだ国家警察主義の大久保利通と国家警察の生みの親とも言われる川路のコンビによって、葬り去られて、僅か1年間しか存在しなかった制度です。
このように精神病者に対する政策は、社会防衛目的が基礎であって、病者自体の治療と言う面から全く考えていなかったのです。
年 表
明治5年(1872)
ロシア皇太子の来日に際し、路上の乞食、放浪者を一掃し、これらを収容するために営繕会議所付属養育院を設置。この中には、多くの精神障害者が含まれていた。
明治6年(1873)
太政官が発した東京番人規則29条は、路上の狂癲者を発見したら取り押さえて警部の指揮を受けることを規定し、治安を目的とした精神障害者の収容の法的裏付けがつくられた。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
