05/07/08
医療水準2と監護義務2
西洋医学と言っても精神医学は、当時はまだまだ曙段階であって、病名の分類も一定しない段階でしたが、それでも科学的に解明していこうとする傾向が進んでいました。
(私が事務所で概括的文献を読んだおぼろげな印象でしかありませんので、何時誰がどういう研究を発表したと言うことまでは思い出せませんし、第一、スペルが難しいのです。)
09/24/03「教育改革・・・・明治維新と学制改革(学制) 2(復古政策)」前後から10日間程度書いてきましたが、わが国では、解体新書で有名なように江戸末期から西洋医学の吸収が盛んでした。
明治になってからは、東大の前身である開成校(南校)と東校(医系)の2校が明治2年ころには設立されて、明治19年に東京帝国大学となるのですから、西洋医学そのものはかなり入ってきていたのです。
しかし、西洋医学の花形は外科的あるいは、身体各部の視覚的理解にあったのですから、そのころの医学では脳外科まで行き着いていないので、精神医学と言っても実験に基づく考察ではなく、症状的的分類と推論に頼る点では、漢方的考察とあまり変っていなかったのです。
医学部の定員は今でも少ないのですが、僅かな定員のなかで、わが国に比べて目覚しく進んでいたわけでもない精神医学を志すものはなお少なかったでしょうし、明治初年ころから33年までの間に精神医学者そのものを今のように何十人も養成できたわけではありません。
まして、全国展開する末端の医師となれば膨大な数が必要ですから、明治33年ころになっても、まだまだと言うところだったでしょう。
こうした事情は、医学系に比べて比較的大勢の養成に向いているはずの法律家も同様で、司法官自体が不足していたので、法律の素人である各藩の元家老職・・参事などが代行していたことと、司法卿とその代理人である検事が新制度・・新思想を根付かせるために、法廷の監視役として必要であった理由として、07/25/05・・1「明治以降の裁判所の設置5(行政府優位の体制の始まり)」以下で紹介したことがあります。
ローマは1日にしてならずというか、人材の養成には時間がかかるのです。
こんなわけで、入院させるべき病院はないし、診断させるべき医師も全国展開していない時代だったから、先ずは、精神病者の監護義務者を法定することから始めたのでしょう。
医療効果が予定されていない段階では、隔離、監護で社会に迷惑をかけないようにするという思想から始まったのは仕方がないでしょう。
犬も、訓練でで何とかなるかどうか不明の時代には、先ず繋いで置くしかなかったのです。
こうして精神病者監護法では、治療のためではなく先ず監護義務者が法定されることになっていたのです。
ところで、わが国の精神医療水準については、憶測に基づいて書いていても仕方がないので、この辺で客観性のある?他人の作った年表を紹介しておきましょう。
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