05/01/08
家庭内のルールと利害相反
人間の尊厳などと言う訳のわからない神学論争をしている限り、結論の先延ばしですから、医療費の定期収入・・・医療業界が潤う仕組みです。
延命装置の場合、高度な機械を使うでしょうが、医療業界としてはこれと言った難しいこともせずに、言うならば、自動操縦的に放っておけば、毎月高額の定期収入が保障される関係ですから、これほどおいしい収入源はないでしょう。
家族も、延命段階になれば、死亡に対する拒否反応が少ないのですから、何かのミス・・酸素のチューブが外れた場合など・・・で死亡しても誰も文句言わないでしょうから、医療過誤で追及される心配も全くないのです。
ただし、医療費の負担者は保険を除けば、延命装置を施されている御父さんや御母さんが殆どですから、遺産相続人である子供らとしては、遺産が徐々に減って行く関係ですから、保険が利かなくなれば、医療を続けるかどうかは隠れた利害相反の関係です。
この意味では、本当に必要な医療か否かの判定は、これまで何回も書いているように複数外部医師による中立で厳正な審査が必須です。
最近はやりの児童虐待事件もそうですが、両親は児童に対する虐待の加害者でありながら、被害児童の法定代理人でもあるので、児童の保護記録の開示を求めてくる場合があります。
この場合、子どもの保護者というよりは利害対立した立場で記録を見たがるわけですから、情報開示には慎重にならざるを得ません。
このように、親族関係は利害対立を内包しているにもかかわらず、本人の後見的立場もあると言う(医療に限らず)ややこしい局面です。
しかも、04/14/08「儒教から法へ2(中国の商道徳)」前後で、法の支配発達の歴史として書いてきたように、法律は、家庭内や組織内の秩序である忠孝のルールで律しきれない場面で発達したことから、元々家庭内には他人間で発達した「法」が関与しない歴史経過があるのです。
家庭に法が入らないのは家庭に公権力が介入しない原理だと思っている方が多いでしょうが、実は、こうした経過で、法の支配が妥当する範囲が徐々に家庭や特別な関係・・特別権力関係にも及んできただけの話です。
法が家庭に入らないからと言って、子には孝行の義務だけあって、親には、慈愛と生殺与奪の権があると言う前近代の精神だけを基準にしたのでは、もはや解決基準にならない時代が来ているのです。
森有礼の明治憲法制定時の意見を、06/09/03「臣民と国民との違い2(臣民分際論)前後で紹介しましたが、儒教道徳では子供や妻には、権利が無く分際があるだけと言うのが基本原理です。
この原理の応用では、児童虐待防止や家庭内暴力防止のニーズに応えられませんから、DV法や児童虐待防止の法律ができてきたのですから、家庭内にも近代法の原理の応用が必要な時代が来ているのです。
しかし、まだ家庭に法律が入り始めたばかりですから、いろんな面で経験の積み重ねが不足しているのが現状です。
家庭の医学ならぬ、家庭の法律と言う本が必要な時代が来ているのです。
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