05/30/07
観光立国政策のまやかし1
これと言ったよそと差別できるほどの観光資源もないのに、(普通の温泉程度の場合です)一寸した工夫程度でうまく行っても、その程度のことはすぐによそで真似されてしまうのです。
うまくいっても、臨時のボーナス程度の意味しかなく、うまく行ったからと、景気の良いときに設備投資してしまうと却ってリスクが大きいのです。
有名映画のロケ地になっても、そのブームは一過性です。
長野オリンピックの場合もそうでしたが、オリンピックが終わって見ると一過性の需要に対応して、ホテルを林立してもあるいは、土建業者が設備投資してもその後の仕事が続かないのです。
そこで、苦し紛れに、数年毎に新機軸を打ち出しても、「他所より」毎回成功すると言う訳には行かないでしょう。
そのうえ、上記のように「他所」と客観条件が大差ないのですから、アイデアだけですとすぐに真似されるので苦しいのです。
このようなちょっとした工夫程度では、日本全体では何の生産性も上がっておらず、国内の一定の観光収入の取り合いでしかないのですから、国民を養うことにはならないのです。
もちろん、国内の競争激化が国際競争力を高める面もあるでしょうが、殆どの自治体の工夫は、せいぜい国内客目当ての政策でしかないのです。
国内競争の激しい携帯電話業界が、逆に国内向けの細かい嗜好に対応しすぎるために、汎用性がなくて海外競争から脱落している弊害を、03/01/07「超低金利の功罪1(参入規制の害)」のコラムで紹介したことがあります。
ところで、旅行・観光は何のためにするのでしょうか?
未来志向の最先施設見学であれ、歴史志向の遺跡であれ、未知の体験をしたいことが基本でしょうが、これが非日常体験・・・デラックスなホテルライフや、家事からの解放などへと繋がり、さらにはその延長として、くつろぎを求める・休暇(温泉)という一連の流れとなります。
他方で、仕事の出張という別の流れがもあるでしょうが、これが反復継続化すると行動範囲の広がりでしかなくなり、旅行とはいわなくなるでしょう。
昔は、千葉からから江戸へ行くのは旅だったでしょうが、今では通勤圏で、何の新味もありません。
未知の体験・・・見聞を広げたいという意味では、流通通信革命の結果、国内ではどこでも似たような価値観・生活様式になっています(山の中ででも刺身が出ますし・・・)ので、未知に遭遇するチャンスが減少します。
未知の体験を売り物にする本来の旅行分野では、次第に国内から客離れが進むのは仕方がないでしょう。
こうなるとハワイやグアムなど、気候風土のまったく違ったところへ行きたくなるのは、当然です。
他方で、非日常プラスくつろぎ中心になれば、遠距離に出かける意味がなくなり、交通費分を考えれば都心のデラックスホテルでの非日常体験もそんなに割高ではありません。
近場中心となるのは当然です。
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