05/18/07

法定刑の細分化11と公判の活性化(求刑と判決)

ところが、営業的か利益目的か、個人的な利用であったかによって罰金刑か懲役刑かが検察の裁量ではなく、法律で決めているとなれば、動機原因がどうであったかについての公判廷の弁護活動は御涙頂戴方式から、権利の主張に変わる・・・活発化するでしょう。
我が国の公判が形骸化しているのは、法定刑の幅が広く罰金または懲役何年と言う形式が多く、その懲役刑も性犯罪の条文を、5月6日・・・・・1「親告罪3(刑法75)告訴期間の撤廃と起訴便宜主義の危険性」のコラムで紹介しましたが、3年以上の有期懲役(20年)ですから、併合罪加重すると実に懲役30年までもある膨大な幅があるからです。
これがどう言う場合10年、こう言う場合15年、20年と決まっていれば、裁判も活性化するでしょう。
アメリカのように同じ殺人でも何級にも分かれていると、弁護士はどの等級に当て嵌めるべきかを争うメリットが大きいから活性化するし、弁護士の腕も上達するのです。
こうした意味からも罰金か懲役刑かの区分けは、検察の不透明な裁量に委ねずに、法廷で透明性をもって争う形式にすべきです。
念のために現行法を紹介しますと、建前上は、公判請求があっても裁判所は罰金にすることもできるのですが、実際には、公判請求してきた検察の意向を汲んで公判請求された事件で罰金になった事件は皆無に近いでしょう。
検察官が罰金相当と考える場合には公判請求しないで、略式請求するのが検察の運用になっているのです。
(正確な統計を知りませんので、経験に基く直感的意見です。)
痴漢えん罪事件で問題になるパターンで見れば、「認めれば罰金」でその日に出られるが、「争うなら半年くらい勾留される・・さらにもしも争った後で有罪となれば、「罰金刑の選択はあり得ない」「懲役刑しかない」と言う懲罰的な運用が普通です。
元々罰金刑相当の事案ならば、それを争ったからと言っても、結果は矢張り罰金でなければおかしいでしょう。
今の運用は争う権利を禁止しているようなものです。
裁判所は、検察官の求刑は単なる意見であって、これに拘束されるものではないのですが、事実上その意見に引きずられる傾向があるのです。
これまで書いているように、予め、事件の事情ごとに法定刑が細かく決まっていれば、被告人が争っていようといまいと、刑が大きく変わるはずがないのです。
裁判所は検察に気兼ねして決めるのではなく、正確な事実認定をしなければ、懲役刑を選択できなくなるので公正な判決になるのです。
被告人も細かい事実の有無だけが、判決での刑の基準になるとなれば、弁解したいことを遠慮なくいえるようになるでしょう。
そうすれば公判の審理も活性化するし、えん罪も減るのではないでしょうか?
今の裁判では、「こんなことを言えば裁判官の心証を悪くしないか?」と心配する被告人が多いのですが、事実の主張以前に、(裁判官に嫌われないかと言う)心証ばかり気にしなければならないなんて、事実の有無を調べる公正な裁判になっていないのです。
裁判所に憎まれると困るという国民の意識が強いということは、裁判は、裁判官の個人的感情で行われていると国民が受け止めている何よりの証拠でしょう。
このようになる原因は、裁量の幅が広すぎるからなのです。



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