05/12/07
法定刑の細分化4(構成要件の機能変化3)刑法78
こんなこと(多すぎて一々やってられないよ!)が続いたので、警察の捜査能力と言っても、今では「待ちの姿勢」が身についているのです。
被害届があると記録を取っておいて、別の機会に現行犯で捕まったときに余罪を聞きだして、(日本人は何故か捕まるときれいさっぱり話したがるのです)何十件の余罪全部を検挙したかの如くカッコつけているだけです。
こうした実状については、11/17/04「警察の廃止4(検挙率の実態3)」などで書きました。
何から何までちょっとした違反に対しても、刑事罰を定めていると、刑罰権発動の基準が不明瞭になってしまい、社会が混乱するかというと、そうでもないので何とかなっているのです。
今では、警察はすべて待ちの姿勢で、大事故があってからやってるから、事故さえ起こさなければ検挙しないから、法的安定性を害さない・・良いだろうと言う印象です。
国民の多くもそう思っているでしょう。
これが桶川ストーカー事件のように
「被害があってから来て下さい」
式の状況を生み出したのです。
しかし、事故があってから調査すれば、大抵有罪になると言うことは、どう言うことでしょうか?
今のところ、各種の違反行為は、何かの事故・結果が出ない限り処罰されないと言う暗黙の基準があって、それで国民は安心しているようですが、それは決まった法則・基準ではないので、これと違った運用でイキナリ検挙されても文句言えない・・法的救済方法がないのです。
刑事処罰される場合・・違反行為が法律に書いてあると言っても、実際には違反しているだけでは事実上処罰されない法律が増えてきたのですから、こう言う時代には、違反した行為の中で、どう言う場合に検挙されるかの基準・あるいは、基準に当て嵌めた場合の決定の正当性の有無を検証する制度をつくることが重要です。
検挙されるかどうかの重要な基準・決定が密室で決められ、しかも不当検挙を争えないのでは、法治国家の実質が失われるので危険なのです。
(現在は、起訴不起訴の基準は、検察庁の内部基準でしかないから、野党や、調べに対して反抗的であれば、厳しい基準を適用しても誰も文句いえないのです。)
反抗的態度そのものが犯罪と言う法律があれば別ですが、そう言う法律はないのに、今の運用は、調べに対し迎合的でないと逮捕しなくとも良い軽微な事件まで、逮捕勾留が繰り返されます。
その結果、半年前後身柄拘束されたままになるばかりか、最後の判決でも量刑が倍近く重くなることが多いのです。
こんな不純なこと(調べ官の私的感情・・自分にぺこぺこしないことに対する私的報復です)がまかり通るのは、法定刑(裁量)の幅が広すぎるからです。
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