05/09/07
起訴基準の法定化8(道路交通法違反1)
桶川ストーカー事件で、警察がまともに動かなかったことで、世論の批判を浴びましたが、確かに、嫌がらせでも、なんでも個人が警察に相談しても、簡単には受け付けてくれないのが、普通です。
「滅多なことでは事件にしませんよ・・。」
と言う政府の態度は、被害者として警察に相談する立場でなら、なかなか動いてくれないし、良く分かるし、信用が出来るのです。
他方で、警察の好きなことならば、当事者がどうでもいいと思っていることでも、熱心にやりたがる悪い癖があるのも警察です。
要するに警察は、弁護士のように依頼者のために動くものではなく、国家の関心・・結局はときの政権の関心)で動いているのだから、いくら国民が自分の都合で「これを取り締まってくれ」といってきても
「民の分際でうるさい奴だ」
くらいにしか、感じないのでしょう。
ところで、取り締まり法規が多過ぎて、みんなが守りきれないような時代になってきました。
法律違反があっても、こう言う法律では、少しくらい大目に見るのが普通で、特にひどい場合だけ処罰すると言う・・原則と例外がひっくり返っているような法律が増えてきました。
こう言う法律が増えると、これまで、違法行為は全部取り締まる原則から、検察が選んで取り締まる時代に変わってきたのです。
全部捕まえる前提の中で、情状によっては許してやるかと言う不起訴に関する検察の起訴便宜主義・・・ですから、不公正な不起訴処分に対する方向からのチェックのためだけに、検察審査会法があるのです。
検察や警察の気にいらない奴だけを検挙する時代になって来ると、これもチェックするシステムがないと、起訴便宜主義は、検察に国民の「生殺与奪の権」を与えるような効果をもたらします。
ここまで言えば大袈裟ですが、法律に基く逮捕ではなく検察の内部基準だけで逮捕したり見逃したり出来るようになってくるからです。
たとえば、みんなが守りきれない法律の例として、道路交通法違反の最たるものである信号無視を見てみましょう。
信号無視と言えば著作権侵害などと違い、誰でも分かるやさしい内容ですが、ところが、これが意外に守り難い法律なのです。
この信号遵守義務は、歩行者の場合にも適用があるのですが、歩行者は、車が全く来ない小さな交差点では、無視して渡る人の方が多いのですが、(駅前の雑踏する小さな道では、守っている人の方が少ないでしょう)これが逮捕された事例を知りません。
私がときどき買い物に行く西千葉駅前の西友前の道では、歩行者が多いのに車は滅多に通らないので、歩行者の9割以上が信号無視で渡っています。
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