05/08/07

起訴基準の法定化5(検察審査会法2)

しかし、犯罪の構成要件が開かれたものになってきて、条文を読んだだけでは、何をすれば違法なのか殆どの人には・・弁護士も含めて・・分からない時代が来たのですから・・検察の好き勝手に気に入らない者だけ起訴されたのでは、社会不安のもとになるでしょう。
「起訴すべきなのに起訴しないのはけしからん」
と言うのは、一種の公憤でしかなく、余裕の仕事です。
これも、大きな意味の社会正義の実現で意味があるのは当然です。自民党の副総裁として、隠然たる権力を振るった金丸信氏が政治資金規正法違反だったか忘れましたが、僅か罰金5万円と言うことで世論の猛反発を受けたことは記憶に新しい所です。
これが検察審査会でどうなったか忘れましたが、このとき検察審査会がどの程度役割を果たしたのかどうかですが、兎も角批判のチャンスが必要です。
それに対して、誰でも普段違反しているような軽微なことなのに、警察に睨まれていると言う個人的な事情だけで、イキナリ逮捕された人にとっては、不当な逮捕からの救済を受けるのは、死活問題です。
個々の国民にとっては、不当に逮捕されない保障の方が先ずあるべきでしょう。
ところが、これを救済する法制度がないのです。
訳のわからない難しい法律が増えてきて、あるいは誰でも普段は犯しているような軽微な違反でも法定刑では、懲役刑まで記載されていることが多い時代です。
誰でも違反しがちな法律の場合、これに違反したからと言ってイキナリ逮捕されると、その人にとっては、人生すべてが掛かっているような重要なことなのに、それを不当だといって争う方法がないのでは、真の法治国家・・人権保障のある国家と言えるのでしょうか?
   「逮捕されるような違法なことをしなければいい。」
というのは簡単ですが、昔の殺人や泥棒など、誰でも分かるようなことだけが犯罪になっているのではなく、その道のプロしか分からないような細かな基準の違反にまで刑事罰の対象になっている時代です。
こう言う時代になると、違法なことをしなければ良いと言うだけでは人権を守れません。
間違って違法なことをしてしまった場合にも、一定の場合許される基準の公開が必須です。
(法律の錯誤・・思い違いは過失ではなく故意犯になる法原則が問題であることは、05/04/07「刑事処罰拡大の危険性3(法律の錯誤・処罰の限界1)」以下で既に書きましたが、その法原則を個々の法律ごとに変えて行かないとすれば・・の話です。)
どう言う場合御目こぼしで、どう言う場合に逮捕されるのかについての検察庁の内部基準は、もちろん社会の健全な常識に裏付けられたものですから、素人にも常識的にはある程度分かっているのですが、これが公開された基準でないところが問題なのです。
これを検察が秘密にしていて、秘密であるから、恣意的に曲げて運用されて不当逮捕されても、(国民の常識からして不当と分かるのですが・・・・)これが基準違反であるとして法的に争う方法が無いのが問題なのです。
特許法を、05/04/07・・・2「特許法1と著作権法3(刑事訴訟法69)時効」のコラムで紹介しましたが、その条文では特許を侵害してはいけないことだけが、分かりますが、何が特許侵害になるのか書いていないし、5月4日にリナックスの例を紹介しましたが、専門家でもかなりの高度な検索技術を兼ね備えないと見過ごしてしまう危険があるのです。
もちろん著作権侵害も同じことで、著作権を侵害してはいけないと言うことまでは、誰でも分かりますが、その先自分がやろうとしていることがが著作権侵害になるのかどうかになると、条文を読んだけではまるで分からない仕組みです。



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