05/31/06

試験(選挙2)と抜擢(人材活用方法)

日本の人材抜擢制度は、人物を見込んでするものですから、情実や偶然の縁故が左右しがちです。
情実だけで実力もないのに、抜擢すると直ぐに失敗してしまうので(わが国では、実務能力がいつも問われます)、抜擢者自身まで失脚しかねませんので、情実だけによる抜擢は行われません。
情実抜擢は少ないとしても、君主の目に触れる範囲内の優秀者の抜擢となれば、偶然が作用することは、避けられないでしょう。
史上能力派として有名な大岡越前でさえも、地方の伊勢山田奉行でくすぶっていた筈ですが、彼にとっては偶然、(実際は、それなりの政争、暗殺の結果ですから、偶然ではありません。)紀伊の国の大名であった吉宗が、徳川宗家を継いだことから、抜擢されたものでしょう。
ちなみに、世上、紀州徳川家と言われますが、実際は伊勢の国も支配していたので、紀伊2か国の領主でした。
15年程前に、松坂牛を食べようと思って、伊勢松坂へ家族で行った事がありますが、歴史散歩のついでに足を伸ばせば、紀伊徳川家の勤番侍の長屋が今でも残っています。
抜擢制度では、対象者が君主周辺の、一定の範囲に限定されると言う偶然が避けられないとしても、人材がほぼ均質化している日本では、それほどの弊害がないと言えるのかもしれません。
これに対し、厳格な試験による科挙の制度は、人材に偏りのある民族には広い範囲から選出できるので、必須の制度だったのでしょう。
試験は、広範囲に人材を募集できる外、偶然の縁故や情実が働かない分、合理的・公平ですが、その代わり、実務能力のテストが出来ませんし、ファジーな能力者の選抜・時代の変化に弱い欠点があります。
試験制度はいつも書くことですが、過去に蓄積された先人の知識経験をどれだけ理解しているかを試すことが、テストの主体になりがちなものですから、官僚的思考向きですが、その分社会が停滞してしまうのです。
私が、ことある毎に、試験選抜によるエリート主義を批判している所以です。
これに対し、特定の試験の成績に偏ることなく、日ごろの実績・・実務能力や人物を見込んで抜擢する日本的制度の方が、社会構造が変化するものであるという前提にたつ限り、現実的な良さがあるでしょう。
(ファジーな人物評価は、試験による評価に馴染まないものです)
要するに、変化を前提にするか否かによって、実務経験重視社会かどうか、試験重視社会になるかの違いとなるのでしょう。



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