05/28/06
参議2(柿本朝臣人麻呂と日野資朝朝臣)
この後、順次内閣の紹介をしていきますが、その前提として明治政府を実際に動かしていたことから良く出て来る「参議」の官名について、少し見て置きましょう。
参議とはいわゆる令外官の一つで、もともとは朝廷での公卿の議論に参加できるもの(朝政参議)と言う意味です。
ついでに言えば、12/26/03 「身分とは?3(中世社会2)公家」のコラムで紹介しましたが、本来は、(律令制では)3位以上が公卿として、朝政に参加出来たのです。
ところが三位以上でなくとも、朝政に参加出来るようにしたので、これを令外の官と言う訳ですが、参議になれば、三位以上でなくとも公卿といわれたのです。
要するに天皇・・・当時から天皇といったものではないですが、便宜上の呼称です・・・の御前で、あるいは、公卿会議に列席できる資格があることになったのです。
わが国では、いつも書くように実務家が徐々に力をつけて行く社会ですが、古代でも律令制が出来て直ぐに家柄でない者の、実務官僚・・中堅貴族の意見を無視できなくなっていくのです。
平安時代には、弁官・蔵人の頭など実務官僚経験者が参議になっていったようですから、江戸時代には、徳川家では、老中でなくとも町奉行が実務家として列席出来たのと同じです。
各大名家でも、老職以外でも郡奉行などが、重臣会議の末席に加わるのが普通でした。
以上の次第で、参議には三位に限らず四位以下の者の抜擢が普通であったので、姓名の間に「朝臣」の付け方で区別していたようです。
例えば、正中の変で有名な日野資朝朝臣は、姓名の次に「朝臣」が来るので、4位以下であったことになるようです。
尤も彼は、父が権大納言であったと言うので、本来は3位まで昇格出来る家柄だったでしょうが、蔵人の頭など実務官僚を務めて頭角をあらわしたのですが、三位まで昇格しないうちの、若くて血気盛んなところで、処刑されたからでしょう。
ついでに、万葉集で有名な、柿本人麻呂は、たとえば、
「柿本朝臣人麻呂の羇旅の歌」
と書かれているので、このルールから言えば、氏と名の間に「朝臣」が来ていますので、三位以上の高官であったことになります。
気になるところですが、正史に人麻呂の氏名がないので、6位以下の下級官吏であったとも言われています。
まだ人麻呂の頃(660年頃〜720年頃)には、こうした氏名の次に「朝臣」と書くか、氏と名の間に「朝臣」書くかの表記・呼称の慣習(ルール)が成立していなかったのではないでしょうか?
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