05/26/06
世界宗教の非合理化21と各宗派の成立(民族国家)2
日本でキリシタンが弾圧を受けるようになったのは、この価値観の違いが大きかったのです。
秀吉が、島津征伐で九州滞陣中に、キリシタンが秀吉の命令・ひいては配下の諸大名よりも・教会の指示の方に重きをおくのに驚いたのが、始まりだと言われています。
当時大友宗麟など、九州にはキリシタン大名が多かったのです。
宗教を突き詰めれば、君主の命よりもイエスキリストの命の方が優先事項になるのです。
従って、一つの国に異宗教が一定の程度の規模で混在すれば、最高権力者が複数いることになって、今で言えば、一国2制度みたいな状態になってしまいます。
昨日までのコラムで書きましたが、日本では、世俗政権と宗教会のヘゲモニー争いは、秀吉の頃には、世俗系が圧勝してしまっていたのです。
その後は、世俗権力に超越するような教えでは、存続が許されなくなっていたのに、キリスト教の方は、まだそう言ういきさつを知らないと言うか、まだ世俗権力の上位にあると言う思想でした。
これでは、お天下様になっていた秀吉の逆鱗に触れる訳です。
直ちにキリシタン大名を禁止してみると、高山右近のようにキリストの信仰を選んで、せっかくの大名までいった世俗権利を投げ出す人も出て来た訳です。
これには、秀吉の方が、もっと驚いたでしょう。
大名の地位を投げ出してでも、秀吉の命に従えないものが出たのですから、
「宗教がのさばれば、世俗権力の威令がとどかなくなる」
と言う秀吉の心配があたっていたのです。
ところで、天下国家の威令は別としても、価値観の違う人が一緒に生活すれば、何かと意見の相違や行き違いが多く、互いにストレスが溜まるのは当然です。
それも、人のことは、大目に見るのではなく、
「相手の価値観を許せない」
と言う激しい宗教感情で分派している場合は、なお更です。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
