05/25/06

政治権力と宗教(幽霊の出現)

こうして地獄極楽の図式は、あまり役に立たなくなりますが、もちろん刑罰が完全ではありませんので、一部存在意義が残るのです。
私が言うのは大方の流れです。
地獄へ行くと言う説話が力を持たなくなると、個人的仕返しが重要になります。
徳川政権になると、個人的にはあだ討ちが盛行するようになった原因でしょうし、秩序が固まった江戸時代中期になると、仕返し・・復讐に代わって適正な刑事処罰の要求が生れます。
鍵屋の辻での荒木又右衛門のあだ討ち話など、個人のあだ討ちで有名な話は、江戸時代初期までで終わりとなるのです。
徳川権力が確立し、刑事制度も整備されてきた経過については、12/16/03「公事方御定書1(刑法4)(江戸時代の裁判機構1)」以下飛び飛びですが10回以上?ほど連載しましたが、他方で、刑事処罰だけでは、身分の高い場合や悪い奴が罪を逃れる場合が出てきます。
これに飽き足らないヒトのために
      「幽霊・お化け」
が発達するのです。
怪談佐賀屋敷では、刑事処罰に馴染まない殿様に対する復讐ですし、お岩さんその他大方が現世の刑事手続ではどうにもならない悔しさの復讐劇として設定されています。
恨みを残して死亡した人の霊が活躍する話では、古くは菅原の道真が雷になって、清涼殿を襲う話が有名ですが、(このように昔からあるのですが・・)彼は衣冠束帯で、普通の人間として描かれているのです。
これが江戸時代になって、次第に陰惨な感じになっていくのは、(殆ど女性で、しかも足がなくなって行きます。)社会が窮屈になっていったせいでしょう。
絵画では、最初逆立ちしていたり、いろいろな形があったのですが、円山応挙の描いたものが、基本形になっていくようです。
江戸時代中期以降になると、地獄・極楽のイメージは、過去の伝統的イメージであって、この時代になるとリアルなもの、幽霊・・すなわち成仏しきれない死者、幽冥界の境界の人間がテーマになっていくのです。
20数年前に痴呆(今は認知症)老人の走りのころに、松江の町中でが、痴呆老人が幽霊の如くふわふわと歩いているのを見掛けたことがあります。
「心そこにあらず」と言う言葉ありますが、まさにそうした感じで、「あれっ!???と言う感じで目をやると、私たち家族に応対していたお店の人が、教えてくれたのです。
当時は、恍惚の人とか呼称も定まりませんでしたし、家族もどうして良いかわからず、胸にゼッケンみたいなものをつけて、自由に町中を歩き回らせていたようです。
これなどは、まさに肉体だけがこの世に残っているような印象を受けましたが、幽霊・・・人魂はその逆の世界です。
幽霊に話しを戻しますと、成仏していただく・・すなわち葬式仏教に繋がっていき、手厚い供養をする習慣にも結びついていくのです。
葬式仏教の限度で、存在を許されたことと関係があるでしょう。



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