05/25/06

日本人の心の原型2(無常・諦観・もののあわれ)

現在では、ワビやサビ・・あるいは「もののあわれ」に感じてばかりいたのでは、激烈な国際競争に勝ち抜けませんので、それほど強調されず、過去の遺産・・伝統的心として教えられているだけです。
しかし、諦観の方は政権担当者にとっては都合が良いので、今でもしきりにこれを持ち上げた国語の講義がなされます。
例えば太平洋戦争では、多くの人が犠牲になりましたが、これは明らかに政策選択のミスであって人災でしょうが、何となく天災のようにあきらめている人が多いのです。
政府にとっては何でも諦めてくれる便利な国民性ですが、この諦めを利用しているのが、昨今問題になっている、靖国神社の戦争責任者の合祀問題でしょう。
被害者の諦めに便乗して、戦争責任者まで被害者と合祀すると言う暴挙をしているのですが、これに対し、遺族会が苦情を言うどころか、分祀に反対しているのですから、不思議な現象です。
これは、これまで書いて来たように長年宗教と国家権力が蜜月状態にあったことから、宗教団体には、何事でも「政府に楯突くのは良くない」と言う刷り込みが、出来ているからではないでしょうか?
このようにして、日本の宗教は、中世の気候変動期を、気候変動に合わせた新宗教秩序構築による現世解決能力の問題から回避して、極楽浄土思想と諦観で誤魔化して、何とか乗り切ったのです。
さらにその対として、地獄世界も創作して時代の変化に対応出来たので、この陶酔と諦め、地獄、極楽の3点セットは、現実政権側でも重宝にしてくれて、相互に蜜月関係を築き、有効に機能していたのです。
地獄・極楽・諦観の思想は、現実世界から見れば、現実の政策に対する不満があっても、簡単に諦めてくれるし、秩序と破壊者に対する刑罰の代わりに地獄の説明をして秩序遵守を教育してくれるし、便利なものだったのです。
その後、気候が再び温かくなって、国民が元気になってくる鎌倉から室町・・戦国時代を経て、個人の主体性が、徐々に確立されてくると、
      「悪い奴・・・加害者が、地獄へ行く」
と言う話だけでは、現実世界の被害者やその遺族が諦められなくなってきたのです。
宗教団体のほうも、気候が良くなって収穫も増えてくれば、不都合なことがあっても「諦めなさい」と後ろ向きの説法ばかりでは、信徒も納得しなくなってきます。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資