05/23/06
日本の新興宗教(抵抗勢力?)
話しを日本の新興宗教に戻しましょう。
これまで書いて来たように、日本の新興宗教の成り立ちを考えてみると、中世だけでなく、明治以降に沢山出来たものも含めて、新しい時代に合わせて新しい時代の担い手のために出来たものは皆無に近いのではないでしょうか。
これまで何回も書いていますが、日本の政権は柔軟です。
つい、5月22日1〜2のコラムでも、約1000年前から実務家が政権担当する仕組みになっていたことを紹介しましたが、日本では、教条的硬直体制ではないのです。
これが崩れたのが、明治政権以降現在に至る体制で、欧米から進んだ思想が入って来たために欧米の文化輸入者である学者・・その弟子の官僚が幅を利かし、現場・・・実務家が遅れたものと言うコンセプトになってしまったのです。
格段に格差のあった文化輸入と言う点では、奈良時代から始まった遣隋使・遣唐使に匹敵するでしょう。
あまりにも格差が大きかった結果、現場経験に根ざした柔軟な考え方が無視されるようになり、
「教条的官僚機構が、太平洋戦争まで突き進めてしまった」
と言うのが、私の基本的考えで、これまで御勉強だけ出来る秀才の弊害などのテーマで書いて来ました。
(教育改革などのテーマで、参照してください)
ともかく日本では、政権は、いつも新しいものや制度を取り入れる傾向があって、(現在の政府与党も同じです)その結果、野党や新興宗教は、新しい時代の要請者を支持者にせずに、いつも政権の改革・・新時代についていけない敗者のために出来てくる傾向があるのです。
このために、新興宗教が政権と厳しく対立するように見えても、後ろ向きの役割・・・激変緩和措置の要求者にとどまり、新しい秩序の定立を要求することは有りません。
ですから、1種の抵抗勢力でしかないのですから、その要求のアプローチや勧誘の方式や誰から勧誘を受けたかなどの偶然によって、浄土宗だったり一遍宗だったり、天理教だったりするだけです。
そこまで言うと、それぞれの宗教団体のお叱りを受けそうですが、実際この程度の違いでしかないので、真言宗でも真宗でも、日蓮でも結婚して見ると相手の家が別の宗派なら、その宗派になってしまうのに何の違和感もないのです。
何かと言うと
「日本人は、神社にいったりお寺に行ったり、かと思うと結婚式だけキリストの教会って、どうなってるの?」
と言う人が多いのですが、現世に対する不満を要求する集団 としてみれば、どこだって同じと言う意味が分かるでしょう。
私がこのシリーズで書いているように、宗教ごとに主張するべき秩序(ルール)・・ひいては違った価値観があるとすれば、結婚したり何かあるたびに気楽に別の宗教の信者に変わったりしていられないはずです。
あるいは結婚の条件として同じ宗派に属するかどうかが、重要な要件になってくるべきでしょうが、そんなことは誰も予め問題にしないのです。
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