05/23/06
現在の新興宗教の存在意義(専門化の必要性) 1
中古ではない新興宗教あるいは、専門化した集団としては、オーム真理教や白装束集団などが、本来期待されるべきかも知れません。
(・・・もっと私の知らない集団が、日々生まれているでしょう・・・)
彼等は、今のところ、うまく社会に着地する方法が見当たらないようで、反社会的印象ばかりですが、元々法然も親鸞も、キリストさえも当初は法難に遭っていることは周知のとおりです。
当初は、どこの宗教でも当時の社会矛盾を背負って、これを吸収していますので、それなりの軋轢があるのですから、その社会の支配層(すなわち社会の多く)から嫌われるのは、たいした問題では有りません。
これら受け入れ先の宗教団体が、そのうち、社会適合型の教義を作り出せるかどうかによって、社会から受け入れられ、公認されるかどうかが決まるのです。
現在では、気味悪い・・・・何かどろどろした消化しきれないものが、社会に存在し始めた状況があることは確かですから、先ずは、これを吸収する集団が必要でしょう。
社会変化のあるところ、社会不適合を起こしたものに対する受け皿がいくつか生まれるのですが、最初のうちは、こうした各集団もどうして良いかわからずに暴発したり、地下にもぐったりしているうちに、何らかの前向きの「解」を見出して社会で受け入れられて行くのです。
中国清朝末期に太平天国に結集?(烏合の衆だったでしょうが・・・)したのも、アヘン窟に群れたたのも、変法自彊運動に向かったのも、同じ基礎票だった筈です。
何となく気味が悪く思われている現在の新興宗教も、新興宗教である限り、現在社会の病巣を吸収することが先ず第一の条件ですが、それだけにとどまる限り、気味悪い集団と思われるだけでしょう。
現在新たに求められている弱者の受け皿は、精神的に追い詰められているグループ(個々人はバラバラに阻害されていますが・まとめればの話です)ですから、この受け皿はさしあたり気味の悪い傾向になるのは仕方がないでしょう。
従来の新興宗教は、経済的な解決が中心で、これがうまく行かなければ、諦め(諦観)と、あの世の極楽を夢見てお経に陶酔させてればいいのですから、単純ですし明るかったのです。
現在社会での新興宗教の存在価値は、精神的に苦しんでいる人の吸収・解決ですから、アンチョコなことではすみません。
精神病院は薬を飲ましておけばいいのですからアンチョコですが、宗教団体は苦しみの因って来る所以を、どうかしなければならないのですから大変です。
例えば会社で苛めにあっている場合、精神科に通って薬貰っても、何の解決にもならないでしょう。
(もしかしたら、これも弁護士の出番かな?)
オーム真理教の上祐さんが一派を立てるようですが、彼が何か社会性のある解を見出せれば、歴史に残る新興宗教になれるでしょう。
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