05/22/06
中世までの政治権力と地獄の効用2 (新興宗教とは?1)
私の宗教観で言えば、内部経済格差による抗争であったからこそ、西洋では、新秩序によるか旧秩序によるかの決着がつくまで、およそ150年間弱に及ぶ宗教戦争になっていくのです。
(ドイツだけで見ると、農民戦争の始まりが1524年で、30年戦争が1648年終結です。)
前回コラムの最後に書いたように、新興宗教と言うのは、新旧勢力の対立を反映した結果であれば、厳しい権力対立になるのが普通でしょう。
しかし、日本中世での新興宗教はこのような既成権力との対立が殆どなく、政権との間で、うまく折り合いがついている(現在も含めてです)のは、何故でしょうか?
私が思うには、日本の中世新興宗教出現の契機は、新時代の担い手が求める新秩序創設のため・・すなわち経済格差・内部矛盾解決のためと言うよりは、当時の気候不順によるものだったからでしょう。
当時の末法思想は、日本全体の気温低下で、どこでも、彼処でも生活が成り立たなくなっていった気候変動に対するものであった点が、西洋の宗教改革運動との違いでしょう。
西洋では、新しい前向きの勢力と旧体制とのギクシャクが原因であったのに対し、日本では生産力の低下・・・一種の後戻りだったのです。
これが現在のように景気不景気の波であるならば、政策論争が起こるのでしょうが、天候相手では、当時の科学水準ではどうしようと言うほどの意見が生まれません。
12/27/04、「兵農分離3(外様・戦国大名の場合)兼業農家の歴史1」前後で書きましたが、階級差別が喧伝される江戸時代でも、殆どの武士は半農でした。
結局は、具体的に生産に直結している武士層の発言力・・・不満が強まっていったと言うところでしょう。
満州進出・・日中戦争は、疲弊した農村出身の兵と兵に直結する下士官階級のエネルギーに拠ったのと同じ構図です。
青年将校の心情については、04/14/04「戦後の農業政策1(自作農創設特別措置法と土地改良法1)」その他のコラムで少しづつ書いています。
但し、平安末期からの武士層のエネルギーは、実務に根ざしていたので健全なものでしたが、昭和恐慌期の青年将校は、士官学校を出たエリートでしかなく、観念的だったところが違うのでしょう。
歴史は繰り返すようでいて、実は内実が違うものです。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
