05/21/06

中世までの政治権力と地獄の効用1

例えば信長などは、凄い権力を持っていたように誤解されていますが、彼とても無茶苦茶に処罰などしていれば人心が離れますので、周到に気を使っているのです。
信長公記によると、秀吉などの家臣が訪問してくると、何を引出物にしようかなど前もって気に掛けていたようです。
さらには、小説的知識ですが、秀吉の妻ねねが秀吉の浮気を気にしていると、心配しないように声を掛けるなど、中小企業の親方バリに大変なのです。
そんな細かいことを気にせずに、大手企業の社長のように君臨できるようになるのは、組織が固まった徳川綱吉あたりからなのです。
綱吉に至って、漸く法が道理を破る段階に至ったことを(悪法も法なり)、01/26/04 「喧嘩両成敗法と生類憐れみ令1(忠臣蔵2)」のコラムで紹介しました。
ここまで至らない時代には、権力の(未整備な刑事権力機構)補完作用としても、地獄物語は秩序維持に有効だったでしょうから、急速に普及するのです。
勿論、刑事だけでなく、日常の行政に対する不満に対しても、具体的にぶっつけてくるのではなく、諦めて極楽浄土を夢見てくれるなんて、政権にとってはとても便利な思想です。
西洋でも、20日・・・3のコラムに書いたように、フランク王国以来修道院制の発達により、日本同様に、あの世志向で来たのです。
これが、中世末には、新たに勃興した商工業者の需要に対応するために、免罪符で味噌をつけてしまいました。
新教側もカトリック側も、新興の商工業者を何とか引き入れようとする点では、同じでした。
この手段として、原罪を梃子にして免罪符で対応したのが旧教であり、新教は、これまで書いてきたように、免罪符購入で許されるのではなく、「勤労自体が尊いことだ」と言う真正面からの論理構築でした。
いつでもどこでも、お金のかからないほうが良いに決まっています。
本来、新興宗教というものは、新しい時代にあわせて、新時代の支持者が担い手となって、新しい秩序を構築しょうとするものですから、既存秩序で利益をえている者・・既存権威と厳しく対立するべき性質のものです。
(ただし、これは、何回も書いていますが、世界秩序構築とその普及が宗教の本旨であると言う、私の独自の宗教観によるものです。)



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