05/20/06

世界宗教の非合理化17と聖俗の分離3 (修道院の発達)

叡山の有名な荒行である千日回峰行も、現実世界に対する仏法による解を示せなくなってから、発達したものでしょう。
千日回峰行は、第4代天台座主の慈覚大師の弟子であった相応和尚が始めたとなっていますが、天台宗でも重要なのは、教義をマスターして自分で考える能力であって、荒行に耐える体力では有りません。
西洋でも、カール大帝のころからベネデイクト派による修道院が影響力をもち始め、現世よりもあの世での至福を願って、領地を寄進して祈祷をお願いする事例が、増えてきたことを紹介しました。
修道院に関しては、04/12/06「宗教と土俗信仰の違い4(政教分離1)」ベネデイクトとカール大帝の関係については、05/14/06「宗教改革9(免罪符の必要性)」のコラムで書きました。
そもそも修道院が勢力を持つと言うのは、本来の宗教観(わたしの言う現世の秩序構築者)から言えばおかしいのです。
世俗のトラブルからはなれて、自分だけ隔離された空間で修道しているのでは、宗教である意味が有りません。
ベネデイクトは、西ローマ帝国滅亡前後に生きた人ですが、地中海世界・・わたしの言う所の商業世界が崩壊し、フランク王国成立に至る時期ですから、現実世界に対する秩序機能が失われていた時期に当たるのです。
このときに、新たな世界秩序構想力のある人が宗教界から出てこず、修道院と言う蛸壺にもぐりこむことで現実回避していたのです。
このころから、宗教の存在意義が、現世秩序維持から離れて、と言うよりも能力を失ってしまい、あの世志向になっていったのでしょう。
また政権側でも、カール大帝は、初めてカロリンガ朝を創始したばかりで、まだ権力機構が弱体でした。
自らが寄進して祈祷をお願いするのは、王侯貴族が自分一人が助かりたいと言うだけでなく、
    「来世を祈れば極楽がある」
と言う思想の裏返しを期待していたのです。
信長でもそうですが、自分の信仰とは別に士気を高めるために桶狭間の合戦に向かうときに、熱田神宮で祈願したり、信玄なども領民慰撫のために宗教心を利用しています。
政治家と言うのは、政治効果を考えず、自分がのめりこんでいたのでは仕方ないでしょう。



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