05/20/06

世界宗教の非合理化16と聖俗の分離2

以来、宗教は、現実世界での矛盾解決案を提示することを放棄してしまい、
      「あの世に行ってから救われるとか、地獄の責め苦が待っている」
とかの、刷り込みに邁進して行くのです。
(これが、後世葬式宗教になっていく下地となったのでしょう)
こうして、
    「宗教とは現実世界の解決ではなく、精神世界の救済だけである」
と言う方向へ進んでいきます。
この当時は、既に古くからの経典をいくらひっくり返しても、何らの解決にもならないので、このような結果になったのでしょう。
後進国であった日本が、西洋から輸入した横文字の翻訳だけで何でも解決できていたのですが、高度成長期以降ではどうにもならない時代が来ているのと同じです。
そこで、お経の勉強・これに基づく合理的な説教を放棄して、精神性を重視していきますと、宗教家の重要な仕事は人間界であるべき「法」(ルール)の勉強よりも、修行をすることに意味が出てきます。
こうして、空海は青年時代に四国の山中を彷徨ったとか、架空の伝説が生まれてくるのです。
しかし、こんな伝説をいくら造ってみても、空海も最澄でも、難行苦行して偉くなったのではなく、当時最新式の知識・技術を仕入れてきたことによる功績で偉くなっているに過ぎないことは、明白でしょう。
要するに、インドから中国に渡った仏教の教義のうち、日本社会に適した秩序構想を示せたから偉いのです。
明治のはじめに、西洋の法体系のうち日本に適した法体系を留学した偉い人が選んできて日本で継受したのと同様です。
後世の法然・親鸞も、日蓮も荒行に耐えて、偉くなったのではありません。
それぞれ(勿論時期は違います)、叡山で最高の学問・・人間界のあるべき「法」を学び尽くして、これに飽き足らなくなって、一派を立てただけの話でしょう。



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