05/20/06
世界宗教の非合理化15と聖俗の分離1
前回まで書いたように、今では、宗教と言えば、非合理世界を信じる集団と言うイメージが出来あがっています。
明治の知識人が、キリスト教やイスラム教、あるいは儒学まで、みんな日本の土俗信仰心に基づく宗教と同じ・・「宗教」と翻訳し、合理的な原理については、「科学」あるいは「・・・・学」と称するようにしたのは、当時の宗教界の現状にあっていたのです。
私の考えるような、宗教とは本来異民族間でも守られるべき合理的規範・・生きて行くルールのことだと言う解釈から言えば、明治の知識人が、世界宗教に対し、「宗教」と言う翻訳語をあてたのは間違いですが、宗教改革運動に対し、応じなかった旧宗教に対する翻訳としては正しかったことになります。
我が国でも、仏教・・お寺といえば、古い建物でなければ変な感じがするほどの意識が定着しているのですから、おかしなものです。
仏教・・・お寺も日本にきた当初は、最新式の瓦屋根で、世間の耳目を驚かし、有り難い・・滅多にないと言う意味です・・・ものとして始ったものであって、時代遅れを宣伝して始まったものではありません。
空海も最新式の知識・・技術の伝道者として、各地に事績を残しているのです。
古いことを教えて、真言宗が成立したものでは有りません。
昔から優秀な僧侶のことを「名僧知識」と表現するとおり、先進国から新しい知識・技術を仕入れてきて日本に伝える伝道者だったのです。
明治で言えば、洋行帰りの学者先生の謂いでしょう。
それが、今では古いものでなければ、存在価値がないように、思われるようになったのですから、不思議です。
日本の仏教も宗教ですが、ローマカトリック同様に旧態然とした過去の教義を勉強するばかりで、時代の変化に応じた教義の変更が有りませんでした。
実利を重んじる武士が出て来た以降、唐から仕入れた教義が実用に耐えなくなって行くのですが、これに対応する新教義・・・・言うならば宗教改革が出来ず、役に立たないままになっていたのです。
このことから次第に「聖俗」が分離されるようになり、自らそれを良しとして時代遅れの殻に閉じこもってきたのです。
「聖俗の分離」と言う言葉ほど、宗教界の現実世界での解決能力の低下・・・・堕落を象徴するものはないでしょう。
要するに
「宗教は現実世界では、まるで役立たず」
であると宣言されて、自分で喜んでいるようなものです。
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