05/19/06
世界宗教の非合理化と改革14(カルヴァン3)
カルバンの神権政治に戻しますと、イラン革命では、フランスから帰ったホメイニ師が、最高聖職者のまま政治の最高実力者としてイスラムの教義に忠実な政治をしていましたが、さしずめそうした役割だったのでしょうか?
彼は、ジュネーヴをプロテスタンティズム(新教主義)の牙城としていたのですが、彼の厳格な政治姿勢がイギリスのピューリタン革命・・清教徒クロムウェルによる、粛清・・厳格政治に受け継がれたのでしょう。
ところで、何故、イギリスだけが、ピューリタン・・清教徒と言う名誉ある称号になったのでしょうか?
ユグノーが蔑称から始ったように、ピューリタンも国教会からの蔑称から始まったようですが、それにしても「純粋」を意味する蔑称になったのは、宗教的な信念が純粋・厳格だったからでしょうか?
後のクロムウエルによる、厳格な政治からも分かりますが、彼らは教義に忠実で厳格な人々の集まりだった可能性があります。
この辺で、04/15/06「世界宗教の非合理化と各種学問の離脱2 (ルネッサンス)前後の話に戻しましょう。
上記コラムまでは、宗教の合理性とその非合理化について書いていたのですが、そこから宗教改革にのめりこんでしまいました。
ここで言う宗教教義の合理性とは、単なる天動説を採用するか否かだけでなく、長年の間に人間界のルールのあり方も変わって来たので、いろんな分野で、古代に決めた秩序観が時代の現実に合わなくなっていたことに対する宗教教義の修正をするかどうかも含む意味です。
そのときの対応次第で、それからの宗教の進むべき方向、支持者の色分けが決まってしまったと言えるでしょう。
キリスト教(ローマンカソリック)は、このときに頑迷な信者の支持を失うのをおそれて、古代には合理的だったのかも知れませんが、この当時の世界では非合理化してきつつあった旧態然とした秩序観・・・すなわち非合理世界に身を置く決断をしてしまったのです。
しかし、この時の決断が結果として、現在の殆どのヒトがイメージするように、宗教と言えば、
「合理的に説明のできない現象を信じ、これにこだわる人々の集団」
と言う印象になってしまった原因でしょう。
私に言わせれば宗教とは元々合理的な秩序観その物だったはずですが、ローマ法王庁が変化を認めなかったために、その後は、
「宗教と言うものは現実から遊離したものだ」
という固定観念が、染み付いてしまったのです。
こうして、世界宗教でさえ、土着化による地域性の発展を基礎として、宗教から合理性が失われていましたので、今では、非合理性だけが宗教の本質のようにみんなが思うようになってしまったのです。
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