05/19/06

世界宗教の非合理化と改革13(イギリスの場合3・・カルヴァン2)

カルヴァンの思想に戻りますと、勤勉を良しとする道徳・・宗教教義の成立が、西洋世界を合理化したと言われますが、免罪符を買わなくとも良くなった現実的解決の効果が、さしあたり大きかったのを無視できません。
この思想の結果ではなく、元々勤勉に働きたい人が増えていたのですから、その人たちの気持ちに会う思想が生まれただけの話です。
この結果、勤勉な人が心おきなく、罪の意識に悩まされることなく勤勉に働いてお金を稼げるようになったのです。
アダムスミスによる「レッセフェール」の国富論の出来上がる精神的基礎が、このときに作られたのでしょう。
真面目に働くのが罪になるなんて変な思想があったものですが、これが1000年単位も幅を利かしていたのですから、今から考えると滑稽なことです。
いつも世でも、金科玉条のようにひとつの思想に凝り固まるのが危険な例です。 
こうなると新教側の方が気楽である分、新時代の人間には有利になるのは目に見えています。
(カトリックにとどまる限り、お金を儲けると免罪符を買うとか、罪の意識にさいなまれるのですから、重たくなります。)
こうして、聖書に戻るだけを主張する観念的なルターよりも、カルバン派は具体的な支持者を得て、ヨーロッパじゅうに広がっていきます。
これがフランスではユグノーと言われ、スコットランドではプレスビテリアン(長老派)、オランダではゴイセンと呼ばれ、イギリスでは、ピューリタンと呼ばれるようになっていくのです。
ただ、カルヴァンは、ルターのように単なる学者として行動していただけでなく、改革のために反対派を弾圧し、教会制度・組織の改革を行い、厳格な禁欲生活を市民に強制するなどカルヴァン主義による神政政治(神権政治)を実際に行いました。
どうやって、政権を掌握したのかの細かい経緯までは(こうしたことは伝記や小説が詳しいでしょう)今のところ私は知りませんが、兎も角ジュネーブの小領主の帰依を受けて、ジュネーブの政治権力を掌握できたのでしょう。
、ドイツ、スイスなど、ハプスブルク家支配下の諸侯分立社会のほうが、個別の領主の中で最初に帰依したいところから虫食い式に新教に切り替えて行けばいいのですから、新しい考え方が先ず芽を出しやすくて柔軟です。
これが、まず神聖ローマ帝国内で宗教戦争が始った理由でもあったでしょう。



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