05/18/06

世界宗教の非合理化と改革11(イギリスの場合2・・ピューリタンとは?)

それどころか、西洋キリスト世界の農業化だけでは飽き足らず、もっと個性的に独立の教会にまでしてしまったくらいですから、最後尾についていたと言ってもよいのでしょう。
5月17日・・・・2「宗教改革13(独の場合6)」 のコラムで、ドイツ農民戦争の思想基盤を紹介しましたが、ヘンリイ8世も彼ら同様にどちらかといえば、キリスト以前的な気分で独立したのです。
彼は、支配者で良い思いをしているのですから、ローマ法王庁の権威が落ちたからと言って、この機会に暴動を起こす必要がなく、秩序維持者として行動することになるのです。
新撰組の近藤勇など時代から遅れたものが、遅れた会津松平家と手を組んだようなものでしょう。
ところがヘンリー8世の死後、同じく時代遅れ同士の国教会派とカトリック派の抗争が激しくなったこと(ブラッドメアリーの呼称を思い出してください)と、エリザベス1世の治世の終わりころから財政的に行き詰まりを見せて、国内政治が行き詰まり始めたのです。
この結果次の時代から就任した国王は、恒常的な財政赤字に悩まされ、これが増税問題になり、国王と議会の対立に発展していきます。
ドイツは諸侯対皇帝の対立軸でしたが、イギリスでは、先ずは、国王対議会の対立軸で内部混乱が起きたのです。
このときに、国教会派とカトリック派の遅れたもの同士の抗争が激しくて、王党派と反王党派の連携を複雑にし、結果的にピューリタンが漁夫の利を占めるのが、既に紹介したピューリタン革命と言う訳です。
ピュリタン革命の流れについては、04/24/06・・・2「革命は、経済格差・反動から始まる1(ピューリタン革命1)」以下で、連載していますので参照してください。
このように、カソリックの熱心な擁護者は、スペインとイギリスだったのですが、商業的発展の距離に反比例していたことが分かります。
最も思想的に遅れていたイギリスが、約100年後には世界初のピューリタン革命(1642年)国家となり、最先端に躍り出るのですから、歴史は面白いものです。
イギリスでの本来的な宗教改革運動は、カルヴァン派の浸透を待ってからでしたから、大陸よりもかなり遅く始まったものでした。
これはドイツから離れていたと言う地理的関係で、伝播が遅れただけでなく、商工業の発達もその距離に比例して遅れていたからでしょう。
この辺でカルヴィン(学校では、このように習いましたが、そのころは何でも英語読みでした)の説明が必要でしょう。
カルヴァン(1509〜64)は、北フランスに生まれ、パリ大学などで法学・神学・人文主義などを学んでいたのですが、「突然の回心」(1533)によって福音主義者(プロテスタント)となったと言われています。



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