05/18/06
世界宗教の非合理化と宗教改革12(イギリスの場合1・・国教会対メアリー1世の反撃)
イギリスでは、既に国教会が成立し、独自の教会になっていたことを、06/04/05「妖精や妖怪のいる社会とイギリス国教会の独立(イギリスと日本)」その他のコラムで紹介しています。
イギリスは、ローマンカソリックからの独立を果たしているとは言え、元々ヘンリイ8世(1491〜1547、位1509〜47)は、プロテスタントに対する反論の論文さえ書いているほどのカソリック派でした。
彼は単に、キャサリンとの離婚が許可されないことに腹を立てて独立しただけですから、思想的にはローマンカソリックと変わりがなかったのです。
むしろロマンカソリックより古い考えで、独自性を主張しただけだったとすら言えるでしょう。
ヘンリイ8世の死後、エドワード6世がプロテスタント優遇策を取りますが、彼の死後、国教会独立の原因になった最初に離婚されたキャサリンの娘メアリー1世(1516〜1558)が即位(1553)します。
(ヘンリー8世は次々と離婚しているのです)
彼女は、上記の母親が離婚された経緯から、彼女は、理不尽なヘンリイの行為に対する反感から言って、言うまでもなく、カトリックの教義が正しく行われることを夢見て育ったのです。
母と2人で殆ど幽閉状態で暗殺の恐怖におびえながら育ったのですから、国王になれば当然国教会排撃に熱心なカソリック信者でした。
そこで、4月16日に紹介したように、軟禁状態下でも支援してくれていたカトリックの擁護者であるスペインのフェリペ2世(当時は、まだ国王では有りませんでした)と結婚します。
彼女は即位すると国教会を廃止してカソリックに復帰し、国教会派を厳しく弾圧し、処刑数は300人にも上ったと言われ、歴史上「血塗れのメアリー(Bloody
Mary)」と呼ばれることになります。
彼女は就任した時37歳でしたが、老女のようだったと言われます。
元々病弱でしたから?折角結婚したのに子供に恵まれたかと思うと想像妊娠だったり、不幸な人生でした。
即位後5年で死亡してしまい、ロンドン塔に幽閉されていたことのあるエリザベス1世の時代になるのです。
エリザベス(1533〜1603、位1558〜1603)は、宗教的には中道的でしたが、1559年に首長法(首長令)と統一法(統一令)を発布し、結果的に国教会制度の確立をしたことになるのです。
これまでのコラムの紹介でも分かるように、イギリスは、中世・・地中海世界の貿易で繁栄したベネチュア共和国やその後に発達したハンザ同盟からは最も遠いところにいました。
私の言う所の商業社会化による考え方の変化・・・宗教改革の必要性に目覚めるのは、他地域よりもかなり遅かったと思われます。
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