05/17/06
宗教改革13(ドイツの場合6・・・ルターと騎士戦争・農民戦争 2)
ルターは、初め農民を支持していましたが、ミュンツァーに率いられた農民達が財産の共有や神の前での平等を主張して教会を襲撃するなど過激な行動をとるようになると、彼らに対する徹底した鎮圧を諸侯に勧告するようになります。
マルチン・ルターのこのような行動から分かることは、彼は神学者として内面的な信仰のあり方を、純粋に問題にしていただけであって、社会の現状を変革することまでは、考えていなかったためであると言えます。
あるいは、ルターが後に聖書の翻訳に精出して国民に配ったことを、04/22/06「ラテン語と漢文1(文盲率の基礎) (マルチン・ルター)」のコラムで紹介しましたが、この事績からも分かるように、彼の主張は、古代の教義すなわち「聖書に戻れ」と言うことが、中心的関心・・・あるいは、これだけだったのでしょう。
ルターが、農民軍の弾圧を勧告したのは、農民軍の聖霊信仰に基づく主張は、私の考え・・・もしかしたらルターの考えからすれば、聖書よりももっと先に戻る主張・・・一種のキリスト以前に戻る考え・・だったからではないでしょうか?
ドイツ農民戦争は、前向きの宗教改革と言うよりは、ルターの堤題によって、キリスト・法皇の権威が落ちた機会に、キリストの隆盛によって抑圧されていた原始的宗教観が、息を吹き返した運動であったとも言えるのです。
熱心なキリスト教徒であったマルチン・ルターにとっては、許せない行為に思えたことから、一転して、弾圧にゴーサインをを出したのでしょう。
学校では、マルチン・ルターが、宗教改革運動の先駆者であるとして習いましたが、実際は法皇の権威を地に落としただけのヒトだったのではないでしょうか?
彼の行動の結果招来したものは、さしあたりは、キリスト教の再生よりも、長年押し込められていた原始的宗教観・・土着信仰の復活運動・・キリストの排撃運動の始まりのきっかけを作っただけだったのかも知れません。
改築の展望もなしに、先ず家を壊して次にどういう家を建てるかの論争をしているあいだに、長い間家の下になって逼塞していた雑草が芽を出して生えてくるようなものでしょうか。
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