05/14/06

宗教改革10(免罪符 と寄進)

日本でも、大名家や皇室の祈願によってお寺を立てたりしていますが、庶民は、そこまで出来ないので、檀那としてそれなりの寄付・供養料などの支払いや、ときに応じて格式相応の寄進をして成り立っていたのです。
更に、そこまで行かない庶民に対しては、毎回の御賽銭や、御布施により、不特定多数の民衆からは、大仏建立のためなどの行事に合わせての勧進等を求めて、諸国を歩いたものです。
現在でも、厄除けにお参りすると、「護摩札を買う」と言うと語弊がありますが、お金を払って、祈祷してもらうのは、今でも行われていますので、「地獄の沙汰も金次第」と言う論理は一般に知られた諺ですし、それほど珍奇なことではなかったのです。
現在の新興宗教もその運営経費の捻出に困って、変な壷を売ったり親族の資産を寄付させたりして社会問題になっているのですが、その根源は昔から同じです。
宗教と言うものは、生産活動していないのですから、団体が大きくなればなるほど、日々の経費捻出に困る性質があるのです。
オーム真理教の事件もそこから始っているのです。
キリスト教も国家保護をうけるまでは、経費捻出に困っていろいろなことをしたでしょうから、それで庶民を惑わすものとして弾圧を受けたのでしょう。
キリスト教も古代から中世までは、収入源を確保して安定していたのですが、中世が終わりになって、新たな収入源を求めて苦心した結果が、免罪符というところに行き着いたのです。
そうは言っても、お金さえ積めば原罪を免れると言うのは、あまりにもアンチョコで、神を冒涜する傾向があって、マルチン・ルター以前から批判があったのです。
免罪符販売には元々批判が強かったのですが、今の護摩札のように一応は祈祷とセットされていたので何とかなっていたのではないでしょうか?
これが、大々的にドイツで行われるようになったいきさつについてみておきましょう。
元々ドイツは、領邦君主の分立で内部対立が激しく、神聖ローマ皇帝は、足元が定まらないの、対外的には弱い立場で、ローマ法王にこれまで楯突いた事のない状態にあったのです。
メディチ家出身の教皇レオ10世は、サン=ピエトロ大聖堂の改築資金を調達する必要に迫られていたのですが、この大規模な資金集めの目的での募集ですから、文字とおりチンドン屋まがいにお金を集める必要に迫られていたのが、まず第1の出発点でした。
大規模募集ですから一々丁寧に祈祷することが出来なかったので、アンチョコにならざるを得なかったのです。



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