05/12/06

知財保護の帰趨3(日本の立場1・・技術力の重要性)

権利と言うものは、思想や学問の結果、あるいは人権運動家の運動で、初めてできたり保護されるものではなく、社会に有用であることから自然に認知されていくもので、これが有用である限り葬り去ることは出来ないものなのです。
その意味では、どのような革命?があっても、どこの国が覇者になっても、もはや、知財が重要な財産であることだけは、認めざるを得ないでしょう。
知財の対価性を認めるかどうかの紛争は、近代化を認める・・・受け入れるかどうかの暴動に似ています。
抵抗勢力(近代工業や知財の恩恵に浴さないグループ=反動側)・・暴徒が(いつもその方が多いのです)勝ったからと言って、抵抗勢力(ラッダイト運動家)の言うままに機械を打ち壊し、知財を無視ていたのでは、社会が成り立たないです。
知財をコケにして世界競争に勝ったとしても、勝った後には、知財そのものの価値を消滅させる訳には行かないでしょう。
そこで、5月9日・・・・2「知財保護と米中の角逐2 (対価の重要性)」のコラムで書いたように、争点は知財の存否ではなく、対価の適正化に絞られて来るしかないのです。
中国の言い分が通っても、その結果は、対価の適正化・・縮小化に軸足が動く程度に過ぎない筈です。
知財の対価が低減化していけば、日本は、現在はアニメの権利その他の科学分野の知財でも、かなりの輸出超過国になっていますので、その方面の國際収支が減少する痛手があるのは、当然です。
これに対し、知財立国の諸国は、先ず重要部品のブラックボックス化で自衛するしかないでしょう。
こうして有用な科学技術が秘伝化して囲い込まれていきますので、 世界中の人が適正な対価を支払って、この成果をもとに更に研究開発するチャンスが失われていきます。
秘伝を受け継いだ人だけしか、その科学成果を利用してその次の研究が出来なくなるのですから、科学研究の裾野が狭くなってしまうのです。
また芸術やデザインの世界では、発表こそが命ですから隠しようがないのですが、発表すれば直ぐコピーが作られるのでは、やる気がなくなってしまうので、文化面での停滞は著しいものがあるでしょう。
世界中が、ダサイ龍のデザインのものばかりに、なってしまうかも知れません。
しかし、日本の強みは、そうした知財だけでなく精密な金型を作るとか、レンズ研磨など現場技術そのものでも(料理の腕とか)優位性を保っているのです。
もしも、知財が無償に近くなる時代がきても、今から各種の部品製作分野で、中国や韓国が完成品を外国に売れば売るほど、日本が潤う関係を築いているのです。
要するに,彼らはプラモデルで遊ぶ子供のように、日本から送られた部品の組立工場を経営しているだけです。
日本は幸せなことに、どこの国が世界支配しても、その時代時代の価値観で結構な地位を保てるほど人材の豊富な国です。
日本は、人材豊富ですから、どのような時代が来ても適応していけますが、軍事力で勝負する気がない以上は、いつも2番手の国である必要があるのです。
どんな時代にも対応できる人材の豊富さについては、03/25/04「平和憲法と国の安全 7(我が国人材の多様性)」その他で紹介しましたので、「人材の多様性」でサーチしてください。



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