05/11/06

知財保護の帰趨(市場経済に馴染むのか?)1

市場競争に任せておけば、開発費とそのリスクを賄えるほどの適正なところに落ち着けばいいのですが、この限度を越えて、低価格化が進めばどうなるかと言う関心です。
著作権やデザインの盗用と言う言葉がありますが、市場に任せると言うのは、まさに泥棒をするに任せて、泥棒が泥棒するのに飽きるまで放置するのと同じです。
泥棒(窃盗)と、盗用の違いは、目に見えるもの・・有体物を盗むのが、旧来型の泥棒で、知財と言う目に見えない財産を盗むのが、盗用(剽窃)と言う区分けでしょう。
いずれにせよ他人の労働によって得た成果を、その労働に参加しなかったものが横取りすると言うか水増しして使おうとするものですから、古代以来の窃盗の形を変えた不正そのものでしょう。
泥棒のコストに引き合う限度まで、知財の対価を値下げしていたのでは、正規の生産活動が成り立ちませんから、この問題は、市場に任せるべき問題ではないのです。
例えば写真芸術や映画、音楽などはそうですが、値段が適正かどうかではなく、限りなく無償に近い低価格で簡単にダビングが出来る時代ですから、消費者(泥棒)の利益に任して放置すれば、いくらでも低価格化してしまうのです。
泥棒(犯罪)や駐車違反は割に合わないと言うのは、市場経済に任せても、経済的に割に合わないのではありません。
処罰されると社会的地位を失うとか、数百円の駐車料金を惜しんで駐車違反でレッカー車で運ばれると、何万円も取られた上で、減点になるとか、たった10万円の窃盗で1年も入っているなら、外で真面目に働いた方が、率が良いと言うだけであって、刑事処罰があってこそ割が合うかどうかの基準が成り立つなです。
これを狙ったのが、功利主義哲学であることを、04/20/06「功利主義とは?(罪刑法定主義1)」以下のコラムで連載しました。
ただし、この功利主義哲学による効果は、必ず検挙されるとか、検挙率が高いことが前提であって、1万回に1回しか検挙されないとなれば、駐車違反もスピード違反もやり放題になるでしょう。
検挙率が低いと、これに反比例して、罰金や刑罰を重くしないと割合が保てません。
検挙率が半分になれば、罰金を倍に引き上げてやっとバランスが取れるのです。
この関係を、03/05/05「暴対法2(必罰社会が安全な社会を作る)」のコラムで書いたことがあります。
最近の刑法改正による重罰化、宣告刑の重刑化は、検挙率低下に基礎を置くものでしょうし、これまでの我が国の宣告刑が軽かったのは、犯罪率が低かったことによるのでしょう。
宣告刑と法定刑の違いについては、まだ説明していませんでしたので、ここで簡略に説明しておきましょう。
例えば窃盗罪について、刑法で書いている「10年以下の懲役」言うのが法定刑で、具体的な事件に応じて実際に裁判で宣告される・・・言い渡される刑が宣告刑です。



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