05/09/06
知財保護と米中の角逐2 (対価の重要性)
これからの時代、知財を認めるかどうかの争いは、言うならば、共産主義か、自由主義か、イスラムかキリストかの争いよりも、実利が絡んでいるので深刻です。
私の考えでは、04/10/06「宗教と土俗信仰の違い1」前後でも書きましたが、異民族間で商取引が始って、これが円滑に行われるためには、異民族間で共通のルールとしての世界宗教が生まれたと言うものです。
古代に世界宗教が生まれたころには、交換経済の前提としての私的所有概念が生まれ、財物の窃盗禁止が、新しい重要なモラルでした。
現在は、古代以来の世界宗教の力が薄れましたが、その分目に見えない財産権を保護すべき新しい秩序が生まれるべき時期なのでしょう。
知財を主張する方が時代逆行なのか、(文化の発展にマイナスなのか)あるいは、海賊版で対抗する方が、これまで書いて来たような、ラッダイト運動同様の単なる後進性の故の暴動・・反革命なのかと言うことです。
私は、知財保護制度が、時代逆行になるか新しい秩序になるかどうかは、知財の対価(保護期間も含めて)の決め方次第ではないかと思っています。
ある科学技術の発明と言っても、遅かれ早かれ、誰かが気が付いたものでしょうから、これを他人よりも数ヶ月・・あるいは1年速かったからと言って、その成果を利用するのに、合理的対価以上のものを要求されてしまえば、これを利用する新しい技術開発の採算が取れず、社会の停滞を招いてしまうのです。
特に科学理論発表の場合は、競合する学者より、ほんのちょっと早かっただけで、その研究がなくとも誰かがやっていたのですから、あまり高いとおかしなことになります。
かと言って折角当たったキャラクターや映画が、海賊版で無断利用されてしまうのでは、努力するヒトや企業が報われませんので、一定の保護が必要なのは確かでしょう。
映画でもコピーが簡単に出来る時代です。
対価が高すぎると(保護期間の長さも結局は同じですが・・・。)先駆者の科学理論を元にした他の発明発見の妨害になってしまうでしょうから、その開発に要するリスク・・コストの何倍くらいまでの利益を保護すべきかと言う計量の問題ではないでしょうか?
このように考えて行くと知財ルールの定着は、対価の問題に帰着することになるのです。
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