05/06/06
現在の立地条件3(オートメ化と世界競争2)(インフラ整備とODA)
この現象(後進国立地競争)が始ったのと、バブル崩壊が重なったので、日本経済は大変だったのです。
そしてこの現象で潤っているのが、、新日鉄が協力した例を紹介しましたが、一事が万事で(新工場に協力したのは新日鉄だけでは有りません)、いろんな事業体で軌道に乗ってきた解放後の中国でした。
機械化出来る環境(インフラ)が、ととのえば、人口の多さ・・・・消費量の多さと加工用工員の人件費の安さで、有利な中国に工場立地が進んだのです。
ただし、これには、前回コラムで書いたように、オートメ化が進んでもインフラ整備がなければ企業は進出できないのですから、先進国同様のインフラがあってこそ、コスト競争に勝てるのです。
中国が改革・開放に進むには、インフラ整備が大前提でした。
もしも、これがなければ、日本など先進国からの工場進出もありませんし、外国からの輸入品に席巻されて、中国経済は壊滅していたでしょう。
このための資金として、日本から膨大なODA援助が注ぎ込まれたのです。
中国の改革開放政策は、わが国の中国に対するODAとセットで成り立ったものでした。
以下に紹介するように、中国で開放宣言の出た1789年と同時に、日本からの援助が始っているのですから(根回しがなければ直ぐに実行できませんから)、こうした準備が日中間で出来た上で、搶ャ平によって改革・開放方針が宣言されたことが分かります。
日本は、中国の改革開放政策の生みの親・・後ろ盾的存在だったとさえ言えるのです。
ついでに、外務省のホームページから、わが国の中国に対する援助実績をそのまま、転写しておきましょう。
「対中ODAは、1979年に開始され、これまでに有償資金協力(円借款)を約3兆1331億円、無償資金協力を1457億円、技術協力を1446億円、総額約3兆円以上のODAを実施してきました。
( 関連リンク / 対中ODAの累積額(PDF) )」我が国の対中ODAは、1970年代末、中国が改革開放政策に転換し、我が国に対し協力を要請してきたのに対し、改革開放政策の支持の一環として実施されてきたものです。
以来、対中ODAは、中国の改革開放政策の維持・促進に貢献すると同時に、日中関係の主要な柱の一つとして安定的な日中関係を下支えする強固な基盤を構成してきました。
さらに、対中ODAによる経済インフラ整備等を通じて中国経済が安定的に発展してきたことは、我が国にとっても利益をもたらし、ひいてはアジア太平洋地域の安定にも貢献してきました。」
と言う外務省の自画自賛です。
中国では、これに感謝していると言うのが、外務省のホームページです。
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