05/04/06

近代化対応能力3(「私」の中国と「公」の日本)・政治経験の差1

平将門以来の武家の地位上昇圧力が、保元平治の乱に始まる政体の順次変更を生み、これが名実ともに完成したのが、江戸・徳川政権であったとのです。
これがまた、300年弱の間に武家の内部で下級武士に実権が移る時代が来ていたので、明治維新と同時にもと下級武士を中心に政治の実権が移っていきます。
何か事件があると、これを節目に、その時代の担い手の実力に合わせて次々と政権のあり方が変わっていった経験があって、時代変化による政権移行の経験が豊かだったのが、明治維新が短期に出来た成功の原因でしょう。
それと関連しますが、わが国では、
     「勝ちさえすればいいから」
と本末転倒の勢力と組むようなことはしない「公」精神が、江戸時代を通じて発達していたことも幸いしたのではないでしょうか?
これが徳川家がフランスの応援を求めなかったことにつながり、外国の介入を受けずに済んだ原因でしょう。
「公」精神の形成については別に書く機会があると思いますが、江戸時代の日本人は、いつも「公」を意識して行動していたのです。
これは、政治・・公に関係のない地下人であった筈の武士が、1000年前後の長きに亘ってじわじわと地方から順次政治経験を積み、ついには鎌倉以来自前の政権を持つようになったので、幅広く「公」の経験が蓄積されたことが大きかったでしょう。
これは、西洋でもイギリスの名誉革命やフランスの大革命まで、限られた貴族層が政治を独占していた諸外国とは、決定的な差ではないでしょうか?
武士の場合は、足軽まで含めて、徳川家旗本だけでも、8万騎と言われるほどでしたから、(実数は別ですが)武士に比べれば、貴族や僧侶だけの政治参加しかなかった西洋では、比較にならない小数だったことが分かるでしょう。
旗本8万騎の実数については、08/14/04「旗本とは(与力14)」のコラムで紹介しました。



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